「日本近海に大量のガス」との報告に沸く

メタンハイドレートにエネルギー資源としての光が当たったのは1972年。冷戦下の旧ソ連、マコゴン博士が西シベリアのメソヤハガス田でハイドレートのメタンが天然ガス田に流れ込んでガスが生産されていると唱えた。これが、ひとつの契機だった。

メタンハイドレートの本格的な研究は、1980年代、アメリカでのプロジェクトを嚆矢とする。石油ショックの教訓から、再生エネルギーや非在来型ガスの開発に焦点が当てられ、アメリカのDOE(エネルギー省)とGRI(ガス調査研究所)が巨額の資金を援助して研究は進められた。アラスカの永久凍土下のメタンハイドレートの経済評価も行なわれた。しかし、石油価格が80年代後半から90年代にかけて1バレル10~20ドルで低値安定すると、巨費を投じた開発よりも国際市場でのガス調達のほうが有利となり、プロジェクトは停止した。

日本のメタンハイドレートにスポットが当たったのは1992年だった。アメリカの地質学者、クラソン博士が京都で開かれた国際地質学会で、日本の周辺海域に4200億~4兆2000億m³の天然ガスがハイドレートとして存在すると発表。ここから開発の動きが活発化し、95年に石油公団(現JOGMEC)を中心に民間10社が結集して特別研究がスタートする。99年11月~2000年1月にかけて静岡県御前崎沖50キロの南海トラフ海域で基礎試錐(ボーリング)が行われ、初めてメタンハイドレートを含む地層のコアが採取された。

MH21プロジェクトリーダーの増田昌敬・東京大学大学院工学系研究科准教授は、当時をふり返って、こう語る。

「メタンハイドレートなんて資源になるのか、という意見もありました。一方で濃集帯の下にはフリーガスがあって、さらに下に天然ガス田があるのでは、とも考えられた。そこでメタンハイドレートと天然ガスの両方をターゲットにしよう、と試錐したんです」