「靖国史観」ではなく「受け身史観」

遊就館で示されている歴史観は、しばしば「靖国史観」と呼ばれ、日本の行動を一貫して正当化・美化しているかのように思われやすい。だが、実際はもう少し複雑な性格を帯びている。

この館を貫く基本的な歴史観は、むしろ“受け身史観”とでも呼ぶべきものだ。すなわち、日本はあくまで自国を守るために消極的に行動してきたにすぎず、その行為の多くは、外部からの圧力や脅威にたいするやむをえない対応であった──という立場である。

靖国神社 遊就館
靖国神社 遊就館(写真=Lover of Romance/CC-BY-SA-3.0-migrated/Wikimedia Commons

たしかに、こうした歴史観は明治期を見るぶんには一定の説得力を持つだろう。だが、第一次世界大戦を経て日本が五大国の一角を占めるようになると、状況は変わってくる。日本はもはやたんなる被害者とはいいにくくなり、国際秩序のなかで新たな責任と選択を迫られる主人公格のひとつとなっていたからだ。