意次の弟が一橋家の家老になっていたが…

御三卿のひとつ一橋家と田沼家は深い繋がりを有していました。意次の弟に田沼意誠がいますが、その意誠の子は田沼意致(「べらぼう」で演じるのは宮尾俊太郎)。この父子は一橋家の家老に就任しているのです。意致の家老就任は安永7年(1778)のことでした。意次は自らの弟と甥を一橋家に家老として配置した訳ですが、そのことは前述の将軍養子選定に大きな影響があったでしょう。

意次としては親族が家老を務める一橋家の者が将軍になってくれたら、将軍が交代したとしても田沼家は安泰だろうと考えたはずです。また意次の尽力により将軍養子が家斉に決定したことは、一橋家(治済・家斉父子)に大きな恩を売ったということにもなります。しかし、治済は意次への「恩」を「仇」で返すことになるのです。

先に見たように田沼意次は将軍・家治死去に伴い政治責任を取らされて失脚した訳ですが、治済は意次を擁護するどころか、意次を排斥し「田沼政治」を否定する動きに御三家と共に出ています。治済は水戸徳川家の治保に書状(天明6年10月24日)を送っていますが、その中で「田沼政治」をバサリと一刀両断しているのです。