「ちらっと床を見ると、かわいい女の子がぐうぐう寝ているんです。『おお、俺よりずっとタフだな』と感心してね(笑)。だけど夜、横になってみると地下街の床は冷えがすごいんです。翌朝は気温が摂氏2度くらいに下がったでしょう。凍死するんじゃないかと思いましたねぇ」
詩人で芥川賞作家の三木卓氏が朗らかな口調でこう語る。東日本大震災の当日、出先で身動きが取れなくなった氏は、やむなく「帰宅難民」の1人として川崎駅前の地下街の通路で夜明かしした。
75歳(当時)と高齢であるうえ、18年前に心筋梗塞を患い「痛風はある、糖尿はある、前立腺肥大はある。もう、何もかもある(笑)」という体である。気温2度のごろ寝が辛くなかったはずはない。
だが、三木氏の座談は不思議な明るさに満ちていた。災難のてんまつはエッセイにも登場するが、深刻ぶらずに「まいった、まいった」とユーモラスに書くので、読者としてはつい笑ってしまう。
「だって、自分にとっては大変なことでも、他人から見たら『おかしなこと』かもしれません。自分を笑いものにすることがユーモアの基本です。われわれはお互い情けない存在なんだ、という共感がどこかにある。そういうところへ自分の気持ちを引っ張り出すことが大事です」
背景にあるのは次のような人生観だ。三木氏は小学4年のときに旧満州で終戦を迎え、一家で静岡へ引き揚げてきた。
「そのとき、リュックサックのなかは着替えと親父の骨箱だけ。家屋敷や財産は全部向こうに置いてきました。だから、あとはもう『よくなるしかない』という思いで世界を見ています。失くしたものばかりを思っていたらウツになります。不景気、不景気と言うけれど、揚げ立てのアジフライとキャベツの千切りがあって、生ビールを飲めたらそれで幸せじゃないですか。ユーモアって、そこから出てくるものだと思います」
この境地にあるから自分の苦労を棚上げできるし、自分自身を笑いものにできるのだ。逆にいえば、現状に不満たらたらでは、心から人を笑わせることはできない。たとえば大切な接待に向かうとき、忘れてはいけない寸鉄だろう。