漫画家の仕事にあこがれつつ、高知新聞社の記者募集に応募
やなせが帰国する2カ月前には、手塚治虫が『マアチャンの日記帳』を大阪の少国民新聞で連載するようになり、漫画家デビューを飾っている。同年には『少年俱楽部』が誌名を『少年クラブ』に変えて復刊し、休刊していた他の雑誌も次々に復刊するようになった。戦時下で失業状態だった漫画家たちも仕事に復帰している。
軍隊と捕虜生活で5年間、無駄に過ごしてしまったことは痛手だった。これから何をやって生きるのか、やなせにはまだ具体的な目標が見えていない。彼の戦後は、スタートの時点から大きく出遅れていた。
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