日本人は古来さまざまな外国語を採り入れてきた。漢字を“やまとことば”にはめ込むハイブリッド言語を作り出し、明治維新後は猛然たる勢いで欧米のテクニカルタームを漢字二字の熟語に置き換えて、感動的な質と速度の翻訳事業を成し遂げた。このとき「読み書きはいいから、会話中心で外国語教育は行うべきだ」というような理屈がまかり通っていて、人々が外国人とネイティブの発音に近い会話をすることに知的努力を集中していたら、日本はいまだ蛮国のレベルにとどまっていたであろう。

英語教育のモデルとしてよくあげられるのがシンガポールである。住民の多くは中国の福建省や河南省にルーツを持つ中華系だが、公用語は英語であるおかげで東アジアの経済的・学術的中心となっている。しかし、そのことの代償もシンガポールの中国人たちは支払っている。今の若者たちは祖父母と共通の言語を持っていない。先祖が書いた日記も手紙も読めない。先祖伝来の食文化や生活習慣も希薄化している。

文芸評論家の江藤淳は、母語で読み、書き、語ることで伝来の文化に触れる経験を「死者たちとの共生」と呼んだ。その意味でシンガポールの若者たちは「共生すべき死者」を今は持っていない。だから、シンガポール文学というものがない。シンガポール音楽というものもない。シンガポール美術というものもない。オーケストラもあるし、立派な美術館もあるが、楽団員は海外から集めてきた人たちであり、収蔵品は金で買ってきたものである。国民をどうやって国民的に統合するのか、それがシンガポールの最大の悩みだ。

また、フィリピンは久しくアメリカの植民地であったから、人々は英語を話す。しかし国際化が進んでいると言うことができるかどうか私にはわからない。フィリピン人はタガログ語という母語を持つが、日本の明治維新のときのような翻訳文化がなかったために、タガログ語では政治や経済や学術を語ることができない。だから、政治家も官僚も学者もみな英語で話すほかない。これを幸運と言うべきなのか、悲劇的と呼ぶべきなのか。たとえば漱石も鴎外も荷風も読めない日本の若者たちを想像してみるとよい。彼らが自国文化へのつながりを実感し、自国文化への誇りを持つことはずいぶん困難になったであろう。