「敗戦は当然」と思ったワケ

昭和20(1945)年5月、宮崎さんは現地で応召し入隊。満洲国の綏芬河すいふんがという場所で初年兵生活に入った。綏芬河はソ満国境の地である。宮崎さんは陣地構築などの軍務に追われた。山砲さんぽうを分解して山上まで運んだり、ソ連軍の動向を観測する任務などにもあたった。

上官からの指導は常に厳しいものだった。宮崎さんの右肘は幼少時の怪我の影響で少し曲がっていたが、そのことが災いしたという。

「銃剣での訓練などの時、『肘が伸びていない』というので軍曹から怒られるんです。よく殴られましたよ。いじめられましたね」