ホテルにチェックインすると、「こちらにご記入をお願いします」と言われ、フロントで用紙とペンを渡されるのが、お決まりの流れ。氏名や住所などを書くよう求められるのだが、すでに宿泊予約していたのに氏名を書かされる二度手間に納得いかない人もいる。また、自らの個人情報を預けることに不安を覚える人も少なくないだろう。そこで、申込書の氏名欄に偽名を書いたらどうなるだろうか。

刑法には、私文書偽造という犯罪がある(159条1項)が、ここでいう「私文書」とは、預金通帳や契約書など「権利、義務若しくは事実証明に関する文書」を指す。ホテルの宿泊申込書には、民間人の権利義務関係などを示す性質はなく、刑法上の「私文書」にあたらない。よって、偽名を書いても偽造罪に問われるわけではない。

しかし、旅館業法は、ホテル側から求められた場合に、宿泊者は自らの氏名などを明らかにすることを義務づけている。旅館業法6条1項は「営業者は、宿泊者名簿を備え、これに宿泊者の氏名、住所、職業その他の事項を記載」するよう定めており、同じく2項には「宿泊者は、営業者から請求があったときは、前項に規定する事項を告げなければならない」とある。

違反者に対する罰則もある。ホテルに氏名や住所を偽って告げた者は「拘留又は科料に処する」として、立ち小便などの軽犯罪と同等の処罰をほのめかしている。拘留とは、短期間(1日以上30日未満)の身柄拘束をする刑罰で、科料とは、罰金よりも少額の金銭(千円以上1万円未満)を強制徴収する刑罰だ。重い罰ではないが、仮にこれらの刑で処罰された場合、市町村の犯罪人名簿には掲載されないものの、検察庁の犯歴記録には「前科」として一生残る。だが、久保内統弁護士は「知る限り、この罰則が使われたのは聞いたことがない」という。

ではそもそもなぜ、宿泊者名簿は必要なのだろうか。久保内弁護士は「法律がホテルに宿泊者名簿を備えさせるのは、もともと集団食中毒や伝染病などが発生した場合に、感染ルートをさかのぼって探索できるようにするという目的があった」と説明する。しかし、そうした用途は、徐々に意義が薄れつつあるという。