イヌはヒトに強い親和的感情を湧き立たせ、手厚い保護を引き出す
ついでなので、ヒトから利益をより多く得るために遺伝的に変化していったイヌの特性を一つお話ししておきましょう。その特性とは「ヒトの喜怒哀楽の状態を読み解く」というものです。
飼い主の表情から落ち込んでいるとか、元気で明るいとかいった内面を推察ができることが、学術的な研究から示されています。そして、ヒトの状態に合わせて、それに応じた行動を示すのです。たとえば、そのヒトが落ち込んでいる場合には、ゆっくりと体を低くして近寄り顔をなめたりするのです。
これはオオカミには備わっていない特性でもあります。オオカミがヒトの表情を読み取るような特性を持っていても、そんな特性はオオカミが得をすることはありません。しかし、イヌではそういった特性で、ヒトにより強い親和的感情を湧き立たせ、手厚い保護を引き出す可能性が高いのです。
アメリカ・プリンストン大学の進化生物学者フォン・ホルト氏は、イヌは、ヒトに好まれるように、遺伝的にオオカミより友好的、社交的になっていると主張し、その変化を生み出した遺伝子も特定しています。「GTF2I」と「GTF2IRD1」という遺伝子です。
ここまで述べてきたことをまとめると、オオカミの一亜種とも言えるイヌの祖先は、ヒトに対して友好的にふるまい、ヒトの表情や動作からそのヒトの状態を読み、それに応じた行動をとり、遺伝子の変化によって、ヒトの側からすると愛らしい特性をもつようになり、現在のイヌに至っていると言えます。
アニメの可愛い女の子は目が大きく、口元が小さく描かれる理由
以上の仮説は「イヌの瞳は、なぜオオカミの瞳より黒っぽいのか」に対する動物行動学的返答にそのままつながっていきます。
冒頭で書いたように、ヒトの幼児の目(瞳)は大人の目(瞳)より、顔の中の割合として大きく、黒目の部分が広くよく目立ちます。それが、大人が幼児を可愛いと感じる理由でもあり、ヒトの脳内には大きくて黒っぽい色の目の顔に反応して「可愛い、世話をしてあげたい」という感情を生起させる回路が存在すると考えられているのです。
パンダやニホンモモンガの顔を可愛いと感じるのも、その回路が反応するからだと考えられます。あるいはアニメに出てくる可愛い女の子は目が大きく、口元が小さく描かれていることからも理解できるでしょう。
イヌの顔についても、遺伝子の変化、すなわち虹彩部のメラニンの生成増加を促す遺伝子の変化で、瞳が黒っぽくなったイヌのほうがヒトに親和的な印象を感じさせやすく、より多くの利益をヒトから得て生存・繁殖に有利だったというのは十分考えられることなのです。
さて、「イヌの瞳は、なぜオオカミの瞳より黒っぽいのか」に対して以上のような説を、実験も交えて論文①で発表したのは、帝京科学大学アニマルサイエンス学科の今野晃嗣氏たちの研究グループです。
同グループは、同じイヌの顔の写真を加工して、一方は目が黒っぽく、他方は目が黄土色(中心の瞳孔の部分だけが黒)のペアの写真を、いくつかの犬種について用意しました。これを被験者に見せ、「どちらのほうに触れたいか」とか「飼育したいか」、「どんな性格のイヌに見えるか」を答えてもらいました。
その結果、すべての写真のペアについて、被験者のほぼ全員が目が黒っぽいイヌのほうが親しみやすく、可愛らしく、友好的に見えると答えたのです。この結果は、イヌの目が黒っぽいのは、「『イヌ祖先』オオカミが、イヌになっていく過程で、ヒトが友好的、愛らしさを感じる個体とのつながりを強めていったことが主要な要因の一つである」ことを支持するものであると言えます。
ヒトは、ヒトを怖がらず友好的に近づく個体、ヒトの心理を読んでそれに対応するようになった個体、瞳が黒っぽい個体に、より優先的に餌などの利益を与える行動を示していったということです。
① Are dark-eyed dogs favoured by humans? Domestication as a potential driver of iris colour difference between dogs and wolves