体育からでも学ぶことがある

まず、1960年代の子供たちの投げる力がなぜ強かったのかというと、「メンコ」の影響が考えられます。昔はメンコで遊ぶ子供たちが多かったため、ものを投げるという習慣があったのです。メンコを叩きつけるあの動きは、実はボールを投げる動きと同じでしたが、その遊びがなくなってしまい、また野球やソフトボールをすることも少なくなってしまったため、ボールを投げる力が低下してしまっているのです。

キャッチボールをしている子供
写真=iStock.com/ziggy_mars
※写真はイメージです

そしてボールを投げる力が低くなってしまうと、肩の筋肉が落ちて、肩こりや腰痛の原因になってしまうことがあるとのこと。このようなことを考えるのは純粋に面白く、体育にもいろんな効果があるんだな、と感心しました。

このように、自分自身も含めて日本人はどの筋肉が落ちてきているのか、どんなスポーツや身体運動が得意に、そして苦手になってきているのか、そしてどうすれば問題を解決できるのかを考えるという経験は他になくて、面白かったです。

学校の授業において、体育は勉強とは結びつきにくい科目です。医学部の人なんかは人の体を理解するために勉強する必要があるのかもしれませんが、文系の筆者にとっては、体育はただの「体を動かす時間」でしかありませんでした。

それが、「体育からでも学ぶことがある、学べることがある、学ぶべきことがある」ということを知れたのは、非常に自分にとって有益だったと感じます。

運動ひとつとっても頭を使う

話をソフトボールに戻すと、「もっと面白いソフトボールのルールを考えてみよう」というレポート課題がありました。投げる力が弱くなってしまっている現代において、どんな体育の授業をすべきなのか、どんなルールがあればもっとソフトボールが楽しくなるのかを考え、そして実際にみんなでやってみるのです。

筆者のグループでは、バッターボックスに入るたびに自己紹介をしたり、趣味や出身地を質問したりするのはどうか、という話になりました。そして、「ピッチャーが相手チームの自己紹介に茶々を入れる」というゲームをすることになり、相手チームの自己紹介に野次が飛んだり茶々が入って盛り上がる、ということが発生したのでした。

この講義を通して、ただ運動をするというだけでも、頭を使う余地があるということが実感できました。運動1つとっても頭を使い、合理的に体を動かそうという姿勢に東大らしさを感じました。

東大では「全学自由研究ゼミナール」という区分の授業が開講されています。この区分では文理に分けることのできない科目や産学連携をテーマにした授業など、バラエティあふれる授業が展開されています。