他人を攻撃して虚勢を張らないと不安で仕方ない
ほとんどのオレサマに共通するのは弱者のアイデンティティです。弱者が持つさまざまな不安から逃れるために、いつも他人を攻撃して虚勢を張ってしまうことになります。「自分は弱者だ。だから自分を守る権利がある」という意識が心のどこかに、根強く居座っています。いろんなことが不安で、いつも他人を攻撃して虚勢を張っていないと気が済まないのです。
たとえば部下がオレサマ化するときのケースで考えてみましょう。
パワハラ防止法が制定されて部下の人権が法的に守られるようになっても、終身雇用制の崩れた企業で弱者であるという立場は変りません。もちろん上司といえども身分が不安定になっていますから、パワハラを疑われるような言動にはふだんから神経を使っているはずです。
つまりいまの時代はどちらも弱者に違いありません。
けれども弱者は弱者に厳しい目を向けます。日本はとくにそうで、これだけ格差の固定化が進んでしまうと、強者に対しては従順に振る舞うしかなくなりますが、それだけでは自分たちのアイデンティティ、つまり自分が自分であるという感覚を持ちにくくなります。
そこでどうしても自分の権利や個性といった領分を主張する必要が出てきます。主張するということは、自分の権利や個性を守るということだからです。
勝ち目のない戦いには挑まないのも特徴
そのときターゲットにされるのがパワハラ告発に脅える上司です。
身近な存在の上司に対して自分のアイデンティティを守るためにも、逆パワハラで向き合うことになります。具体的にいえばプライベートな生活や時間を侵させない、自分が個性だと信じる能力を認めさせるといったことです。もちろんこれだけパワハラやモラハラの知識が広まっていれば、ネットを使ってそれを引き出し自在に使いこなすこともできますから、上司のちょっとした言動にも反抗することができます。
そのかわり、部下は大きな要求や本質的な要求を会社に突きつけることはありません。組合が弱体化し、まして終身雇用制が崩れて能力主義になったいまの時代は、特別な成果を上げない限り、文句を言うだけの社員など無用とみなされてしまうからです。
つまり勝ち目のない戦いは挑まないというのも、弱者のアイデンティティを守るためには必要になってくるのです。