謝罪文の難しさ

そのような「気まずい結末」を迎えるたび、いったんAさんは沈黙し、連絡してこなくなる。おそらく、私ではない新顔の「頼みごとができる人たち」のほうに河岸を変えるのだろうが、とにかく私はただの一度もAさんから謝罪されたことがない。

そうしてまた、ほとぼりが冷めた頃プラス、「頼みごとができる人たち」にも軒並みシャットアウトされたところで、またしても私に連絡してくる。とことん、けろっとして。この前はすみませんでした、という前置きもなし。

つい先日も、親をどうしても高級な施設に入れたいので、そういうところに顔がきく人を紹介してほしいなどと連絡してきた。精一杯の嫌味で、

「いつもご期待に沿えず、すみませんね」

みたいなことをいったら、天真爛漫に答えられた。

「過去のことは全然、気にしてないから。とりあえず親の施設のことお願いねっ」

私はもはや、Aさんに謝ってほしいとも思わなくなった。中居さんは、お相手に完全に許してもらってはいないが、謝罪はしておられる。ただ、その謝罪文が第三者にも「これは……うーん」と思われてしまった。

書き続けるしかない

しかし中居さんがどんな謝罪文を書けば――示談のお相手の女性もとうてい許すなんてことはあり得ないとしても――とりあえず「これは謝罪文だ」と思えるのか。

これは正解がない気がする。たとえ第三者からは「心がこもった謝罪」に読めても、被害者は傷が癒えないうちは何が書いてあっても「心がこもってない」と感じるのだ。

そして被害者の傷が完全に癒えるなんてこともないので、中居さんも絶対的に正しい謝罪文は書けないのだ。しかし中居さんも、書き続けるしかないのだ。

小さなテーブルで手紙をしたためている手元
写真=iStock.com/liebre
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繰り返すが、私は一度もAさんに謝罪してもらったことはない。それはAさんが、自分は悪いことをした、迷惑をかけてしまったとはまったく思ってないからだ。

もし私が一言でも謝れなんていえば、悪いことしてないのなぜ、と驚くはず。

中居さんはさておき、少なくともAさんは、「スターの自分が何かしてもらうのは当たり前だから、してくれた一般人には感謝も謝罪もしない」のだ。

さすがにはっきりとはいわないまでも、「スターの私に一般人のあなたが頼みごとをしてもらって、ありがたく思え。尽くせて光栄だろう。できなかったことはあなたが謝罪すべきだけど、謝罪を要求しない私って寛大」くらいに思っているのだ。