「たくさんの方々」にとっての「ご迷惑」とは
たとえば、不倫を「謝罪」するときは、どうだろうか。
俳優の広末涼子氏は、2023年6月14日、「この度は、私、広末涼子の軽率な行動により、たくさんの方々にご迷惑とご心配をおかけしてしまったことを、深くお詫び申し上げます」と直筆のメッセージで「謝罪」している。
「たくさんの方々」にとっての「ご迷惑」と「ご心配」とは、いったい、何を指していたのか。
「たくさんの方々」には、テレビ局やCMスポンサーといった、仕事相手をはじめ、ファンも含まれるし、「ご迷惑」とは、制作中止や延期といったイレギュラーな事態を招いたとの意味だろう。
中居氏も今回、「これだけたくさんの方々にご迷惑をおかけし」と書いている。なるほど、テレビ番組をはじめとして、多くの人が携わる以上、その「ご迷惑」の範囲は広く、影響は大きい。
それなら、ウェブサイト等の不特定多数が読むところではなく、直接、伝えるのではいけないのか。「ご迷惑」の度合いは、一律ではないし、怒りを覚えている人から、同情する人、連絡を絶つ人まで、いろいろなリアクションがあるに違いない。
そうした「ご迷惑」の多様性を無視し、一緒くたに謝るのは、かえって、不誠実ではないのか。
いや、不誠実だと、芸能人を問い詰めたいのではない。芸能人の「謝罪」は、「関係者各位」が幅広く、人数が多いために、一筋縄ではいかない、そう考えているのである。
「心の叫び」を隠しているのではないか
今回の中居正広氏の引退では、納得できない人が多いと思われる。
中居氏の「謝罪」が足りないとか、記者会見を開かないから、というよりも、中居氏による「ご報告」が醸し出す違和感を拭いきれないからである。思ってもないことを言わされているのではないか。心の叫びを隠しているのではないか。疑わせるに十分すぎるからである。
とすると、着地点は、どこにあるのだろうか。
中居氏が引退した以上、もう記者会見も、あらたな意思表示もされない可能性が高い。優等生ぶって、安全地帯から中居氏を守るのでもなく、逆に、中居氏をリンチするのでもなく、私たちの抱いた隔靴掻痒は、どうすれば解消できるのか。
そんな行き場のない感情が、漂っている。