気持ちのいいキャッチコピーを見ない理由
そんな苦い諦めも感じる一方で、辛くも文筆業界の端っこにいる者としては、さんざん手垢もつきこねくり回された商業ライティング(コピーライティング)の技術を、あえてこの時代の感覚で再構成している部分に好感。古臭く聞こえたって、韻は踏んだほうが人々の記憶に残るのは事実なのだ! 何ならこのところの読書ラインナップの中で、当事者として最も“がっついて”読んだ。
消費者が求める、行動心理学的に有効であると証明され生理的に気持ちのいいキャッチコピーや文章術を、なぜ現代の広告や商業ライティングでは見かけないのか? それはライターが消費者やクライアントの売上向上に向けてではなく、広告業界内の評価に向けて書いているからである。手垢のついた表現はギョーカイ内で「カッコ悪い」からである。しかしそれは素直に、大衆に売れるのである。ギョーカイの「カッコイイ」を追い求めるのは、実は素直な売り上げをわざわざ逃しているのだともいえる。
抽象的な表現の方が何となくカッコいい感じがするものだから、いいブランドコピーを書こうと思うと、例えば日立のスローガン「インスパイア・ザ・ネクスト」などに見られるように、響きはカッコいいけれど曖昧なものになる。だが消費者には「ポケットに1000曲」という、直接的すぎて具体的すぎる初期iPodのキャッチコピーの方がよほど一瞬で理解され、爆発的に売れるのだ。
一方で、本書に挙げられたおよそ全ての消費者行動が、なんだかんだ理屈っぽい自分にもくまなく見事に当てはまることに、軽く落ち込む。所詮あなたも私もみんな人間、気持ちよく買わされることに抗えぬ生き物……。
ならば攻守を変えて、攻める側として気持ちよく読ませ酔わせ「ちゃんといいもの」を伝え、買わせることに注力するのもプロなのではないか。その「書く」技術、「売る」技術はカッコ悪いかもしれないけれど、そうやって世に貢献してもいいのじゃないのか、なんて思った次第。
ポピュリズムと戦おうと思うマスメディアは、カッコいいの悪いのとスカしている場合じゃない。古典的で泥臭い(けれど堅牢なエビデンスに裏打ちされた)商業ライティングのスキルを上手くまぶしながらマスに向かって書き続け、話しかけ続ける。そして、相手と同様、いやそれ以上にウェブマーケティングに貪欲になって、人々に伝えるのを諦めちゃいけないってことだ。