嫌いな理由その3
〈他人の失敗に厳しく、自分は「正論」や「建前」しか言わない〉
こちらは逆に、60代70代の昭和人間が、40代50代の昭和人間に対して抱きがちな嫌悪感。いつの頃からか、世の中はずいぶんお行儀がよくなりました。たとえば未成年の飲酒や、あるいは芸能人の不倫に対して、「まあ、そのぐらいいいじゃん」なんてことは言えません。ネットやSNSの発達とも相まって、1億2000万総風紀委員となって、常に「批判の対象(自分を安全圏に置くために容赦なく叩ける生贄)」を探しています。
基本的にフマジメな60代70代の昭和人間は、濡れ衣なのは承知の上で「こんな世の中になったのは、40代50代がクソマジメすぎるせいだ」と言いたくてたまりません。物事を悲観的にとらえがちで、すべては「自己責任」だと思い込まされてきた40代50代は、つい「正論」や「建前」を口にしたがる一面はあるかも。ただ、60代70代としては、40代50代をそんな目に遭わせた責任の一端は自分たちにあることを忘れたくないものです。
嫌いな理由その4
〈政治問題を熱く語ることで自分が「何者か」であろうとする〉
もちろん、政治に関心を持つことがいけないと言いたいわけではありません。しかし、昭和人間の中には政治問題を熱く語ることで、自分の意識の高さや知性(らしきもの)をアピールしたがる人が少なからずいます。
とくに目立つのが、60代後半以上の現役を引退した男性のみなさん。自分の「すごさ」を示したくて仕方ないのはよくわかりますが、熱く語れば語るほど、うっとうしさだけでなく、もの悲しさを漂わせてしまいます。
ピントがズレたご高説をくどくど話すぐらいは、まだマシ。「何者か」である実感を得たくて、ネットの海をさまよった末に「自分だけが見つけた真実」に出合い、まんまとネトウヨになったり陰謀論にはまったりするケースも少なくありません。いわゆる「左」の方々も、とにかく「ケシカラン」と声を上げることで、「ひと味違う賢い自分」になった気持ちよさを味わいがち。けっしてひとごとではありません。くれぐれも気を付けましょう。