「父に褒めてほしい」の一心で出産したが…
若宮の御湯殿果てて、御前にそそくり臥せ奉りたるを、殿、諸心に見奉らせ給ふに、督の殿こそ、「かくて侍るをば、いかが思す」と聞こえさせ給へば、殿、「いとめでたしとこそ見奉れ」と聞こえさせ給へば、「されど、それよな、え堪ふまじき心地のし侍るが、いとわりなきぞ」と聞こえさせ給へば、「あなゆゆし。かくなのたまはせそ」と申させ給ふ。
(御湯殿の儀が終わり、若宮は嬉子様の御前に急いで運ばれ寝かされる。道長殿は嬉子様と同じ思いで宮様を見守られた。その時、嬉子様が「この次第を、お父様はいかがお思いになりますか」とお聞きになるので、殿は「本当に素晴らしいと拝見しますよ」とお答えになった。すると嬉子様は「でもね、それがね、私、ひどく気分が悪うございますの。我慢できません」と申される。「なんと、縁起でもない。そんなことをおっしゃるでない」。殿はそう声を上げられた)
(『栄花物語』巻二十六)
男子を産んで父に褒めてほしい。その思い一つで何とか出産をしおおせた。嬉子は健気な娘だった。
道長を恨んでいた顕光と娘・延子の呪い?
だが赤裳瘡と出産が続く間、嬉子は全く食事をとらず、体は衰弱しきっていた。翌日の5日には、嬉子は頻りに生あくびをするようになり、読経を再開するとまたしても物の怪が現れた。
顕光と延子の怨霊が、忌まわしい言葉を吐き続ける。僧たちは声を惜しまず経を読み、折からの雨も打ち付け、邸内は騒然となった。道長は泣きながら嬉子の体を抱いて励まし、嬉子は最初こそか細い声で答えていたが、やがてそれも弱まり、夕刻には蚊の鳴くほどの声になった。
そこら満ちたる僧俗、上下、知るも知らぬもなく、願を立て額をつきののしる。えもいはぬものまで涙を流して、「観音」と申さぬなく、ただ額に手をあてて起居礼拝し奉らぬなし。今は加持の声も聞こえず、御読経の声も聞こえず、「観音」とのみ申しののしる。
(邸内いっぱいの人々は、僧俗も貴賤も親疎もなく、ただ嬉子様の命を願い、ひれ伏して声を上げる。下々までが涙を流して「観音」と申さない者はなく、ただ額に手をあてて立ち、座り、礼拝する。今は加持の声も聞こえず、御読経の声も聞こえず、「観音」とのみ叫び続ける)(同前)