「反権力・反権威」というイメージ

東大出身者の研究者は多い。そう考えると、東大=権力、京大=反権力といった、ステレオタイプなイメージも、崩れてくるのではないか。私自身は、京大だから反権力とは、今にいたるまで思ったことがない。

権力に抗い、権威を嫌う。そんな希望の象徴を、京大は託されているのかもしれない。東大は東京にあるし、霞が関や永田町に近く、政治に影響されやすい。実際にそういう面は少なくないのだろう。

かたや京大は、東京から距離を置き、生臭いやりとりとは隔たった、落ち着いた古都で学問に打ち込む。この二項対立は、話を描きやすいし、今もなお、多くの人にとってポピュラーなのかもしれない。

しかし、話はそんなに簡単なのだろうか。

政治思想史家の尾原宏之氏(1973年~)による『「反・東大」の思想史』(新潮選書、2024年)では、「第6章 『ライバル東大』への対抗心 京都大学の空回り」と題して、明治期から大正期にかけての、東大と京大の関係を丹念に跡づけている。

尾原氏は、現代の京大について「東大とは別の高峰として屹立しているというのが一般的イメージではないだろうか」(同209ページ)と評しているし、そうなのだろう。

だが、たとえば、屹立していなさ加減というか、権力や権威の弱さを示すと思われるのが、前の総長・山極壽一氏に関してではないか。

前の総長・山極壽一氏との思い出

私は個人的に山極氏が好きだ。学者としてというよりも、自分が関西テレビ(カンテレ)の記者・ディレクターだった時期に、山極氏に関して体験したエピソードからである。

ゴリラの専門家である山極氏に取材を申し込み、動物園でのインタビューをお願いした。行ってみると、私と同じ時間と場所を指定されたらしい某新聞社の記者・カメラマンと鉢合わせになった。ダブルブッキングだった。

山極氏からすれば、テレビと新聞の取材を一緒に済ませられると思ったのかもしれないし、細かい事情は15年も前の話なので、ここでは脇におこう。

ゴリラの写真の前で笑顔で撮影に応じる京大学長の山極寿一さん
写真=共同通信社
ゴリラの写真の前で笑顔で撮影に応じる京大学長の山極寿一さん

ただ、某新聞社のカメラマンが、「カンテレさん、いい加減にしてくださいよ~」と、たびたび声を張り上げるものだから、その都度、テレビのインタビューを中断してやり直せざるをえず、難儀したのだった。

このエピソードは、山極氏のいい加減さ、というか、私の中では、いかにも山極氏らしい、おおらかというか鷹揚な話として、前向きにとらえている。

ただ、ここで挙げたいのは、これとは異なる山極氏の側面である。

それは、いわゆる「タテカン」、立て看板をめぐる経緯である。