「象徴学」はしっかりと「こちらでやっていく」

上皇陛下は、憲法で「象徴」と規定された天皇にふさわしい素養を身につける学びを、「帝王学」と表現することは適切ではない、とお考えでした。言い換えるなら「象徴学」である、と。

一般的な学校教育ではカバーできないその象徴学は、しっかりと「こちらでやっていく」と明言されていました。

実際にそれを実践されていた事実も知られています。当時の学習院大学学長だった児玉幸多氏ら一流の歴史学者を招いて、系統的に「天皇の歴史」を学ばれた事実がありました。上皇、上皇后両陛下は、高校時代、あるいはさかのぼって中学時代の天皇陛下に、「象徴学」を学ばせるという姿勢をはっきりと持っておられました。「皇位継承者としての教育方針」を明確に確立しておられたのです。

明言されていない「皇位継承者としての教育方針」

これと秋篠宮殿下の姿勢を比べると、かなり曖昧になっている印象をぬぐえません。

秋篠宮殿下は「皇位継承者としての教育方針」というテーマ自体を、これまで一度も明言されていません。記者への回答で「文化」「日本の歴史」を取り上げておられたのは、先の上皇陛下のお答えにある「日本の文化、歴史」に重なるだけに、より重視された「天皇に関する歴史」について、あえて言及されなかった事実が目につきます。

トータルでながめると、秋篠宮殿下は悠仁殿下が将来の「皇位継承者」として自明視されること、それが既定の事実であるかのように扱われることに対して、違和感を覚えておられるように見えます。

天皇陛下が、浩宮殿下と呼ばれていた中学、高校時代から学んでおられた「象徴学」が、秋篠宮家の「教育方針」としてしっかり打ち立てられているという事実も、伝わってきません。

これはおそらく、秋篠宮殿下が無責任であるとか、教育に熱心でないということではないでしょう。そうではなく、次代の天皇に最もふさわしいのは直系の皇女でいらっしゃる敬宮殿下であると、正しく理解しておられるからではありませんか。「皇位継承者」としての学びにおいて、天皇陛下のおそばで暮らし、その感化を受ける以上の教育はないことを、秋篠宮殿下こそ最も深く知っておられるのではないでしょうか。

秋篠宮家の教育方針において「象徴学」が自覚的に採用されてこなかった事実は、先頃(令和6年=2024=9月6日)発表された悠仁殿下のご成年に際しての「ご感想」にストレートに反映していると言えるでしょう。そこには、「天皇「皇室」「皇族」「国民」という言葉がいっさい出てきていませんでした。

三笠宮妃百合子さまの「斂葬の儀」で、葬場に向かわれる秋篠宮家の長男悠仁さま。
写真=時事通信フォト
三笠宮妃百合子さまの「斂葬(れんそう)の儀」で、葬場に向かわれる秋篠宮家の長男悠仁さま。(=2024年11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地)