新人作家の金銭的援助のための2つの文学賞

座談会やゴシップの記事もそうなのですが、菊池は新しい社会の到来や時代の波を鋭敏に観察しながら、雑誌を運営しました。そこに優秀で可能性のある書き手たちを集合させたのです。

文芸誌のプロデューサーとして先鋭的で、それを大正時代にやったという先見性と創造性が卓越していると思います。

昭和10(1935)年に「文藝春秋」は、芥川龍之介と直木三十五の名前を冠して「芥川賞(正式名は「芥川龍之介賞」)」と「直木賞(正式名は「直木三十五賞」)」を設立しました。

芥川賞は雑誌に発表された新進作家による純文学の中・短編作品、直木賞は新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象ですが、菊池には「芥川賞は作品に、直木賞は手腕に」という考えがあったようです。

才人には惜しみなく投資し縁をつくる

芥川龍之介という人気作家と直木三十五という大衆作家――惜しくも亡くなった2人の親友の名前をうまく冠したことで注目を浴び、文壇の新進・中堅作家を世に送り出す登竜門になります。

第1回受賞者の正賞は懐中時計で、副賞賞金は500円だったそうですが、第1回直木賞受賞者の川口松太郎は、仲間を一流レストランに招待しておごったものの使い切れず、200円ほど余ってしまったといいます。

いずれにしても、菊池がいかに新人作家のプロデュースに力を入れていたかがわかります。

「これは」という人物には、惜しみなく投資し、縁をつくる。

“頼りになる兄貴分”という感じですが、菊池が自分の上司だったらと思うと、手のひらの上で踊らされていることにも気づけないくらいうまくコントロールされそうで、少し怖くもありますね。

菊池寛、火野葦平、横光利一、久米正雄
左から菊池寛、火野葦平、横光利一、久米正雄(画像=『1億人の昭和史』/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons
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