疑いが晴れた「アリバイ」

「ただ、いま思い出しても一つだけ気になることがあります。国電車内で『キツネ目の男』が目撃され、警察が取り逃がしたときがあるでしょ? 実はガサの関係で警察が聞いてきたのは、その時の『アリバイ』なんですよ。

当時、僕はひどく物忘れが激しいもんだから、何でも細かく手帳に書く癖があったんですね。それで、刑事に尋ねられた日時をパッと見たら、『ああ、この日はここにいましたよ』と答えたんです。

今でもよく覚えていますが、あの日はとある大学の労働組合の勉強会に出ていたんです。刑事は僕の答えを聞いてすぐその場で無線連絡を取り、別の刑事がその大学に行って裏を取ってきたんです。

もしあの時、僕がアリバイを証明できなければ、今ごろどうなってたかな? 僕は物忘れがひどいからメモを取る癖があったのが、結局は身を救ったという話なんですが、何が身を助けるか分からないもんだよね(笑)。

その後も、雑誌なんかで犯人扱いされて、いろいろ書かれたりしたんだけど、あれ以降警察のマークがなくなったというのはよく覚えています。もちろん僕には事件には関与していないという身の潔白があるわけですから、警察による本件のガサにもかなり協力的だったと思いますよ(笑)。」

劇場型犯罪という見方そのものが間違い

「『劇場型犯罪』の走りといわれたグリ森事件とは結局何だったのか。そもそも『劇場型犯罪』という括り方自体が間違ってると思う。あれは犯人がカモフラージュのために『劇場型』にしたわけで、犯罪を劇場化に仕立てて楽しむ犯罪者なんているはずがない。カネという最大の目的があるから罪を犯すわけで、愉快犯的にやるのは極めてリスクが高い。

遺留品と同型のアマチュア無線機
遺留品と同型のアマチュア無線機(画像=Suzukijimny/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

だから僕は劇場型犯罪という見方そのものが間違いで、何らかの経済的な犯行理由がそこにはあって、つまりカネのためにやったんだと思っています。劇場型にしたのは、あくまで犯行をカモフラージュして捜査をかく乱させるためだったにすぎない。

劇場型とか言って、いまだ語り継がれていること自体、まだあの犯人グループの手の中で踊らされている、そんな気がしてならない。

当時も今もマスコミや世間が劇場型犯罪だと思っている時点で、一生『犯人』にたどり着くことはないでしょうね。犯人のかく乱に、まだ乗せられてしまっていると言えるんじゃないかな。

警察は金の要求とか受け渡し方法とか、警察のやり方で捜査をするわけじゃないですか。その時に『なんだろうコイツ? 本気で考えとるんだろうか』っていう捜査の見立てが、まず最初の大きな壁として立ちふさがる。」