国際政治学者が見た安倍氏の正体

〈古代より近代まで、大国が作り上げた秩序が生まれては消えていった。秩序は外部勢力に粉砕されることでその役目を終えるものだ。自死を選ぶことはない。だが、ドナルド・トランプのあらゆる直感は、戦後の国際システムを支えてきた理念と相反するようだ。

国内でもトランプはメディアを攻撃し、憲法と法の支配さえほとんど気に懸けていない。欧米の大衆も、リベラルな国際秩序のことを、豊かでパワフルな特権層のグローバルな活動の場と次第にみなすようになった。

すでに権力ポストにある以上、トランプがそのアジェンダに取り組んでいくにつれて、リベラルな民主主義はさらに衰退していく。

リベラルな国際秩序を存続させるには、この秩序をいまも支持する世界の指導者と有権者たちが、その試みを強化する必要があり、その多くは、日本の安倍晋三とドイツのアンゲラ・メルケルという、リベラルな戦後秩序を支持する2人の指導者の肩にかかっている〉

ワシントンD.C.で開催されたCPAC 2011で講演するドナルド・トランプ氏
ワシントンD.C.で開催されたCPAC 2011で講演するドナルド・トランプ氏(写真=Gage Skidmore/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons

なんと、安倍晋三はリベラルな戦後秩序の守護者だというのである。トランプ大統領とは対照的なポジションに置かれてもいる。

YOASOBIの「アイドル」との共通点

こうした見方は、国内からはほとんど出てこなかったのではないだろうか。支持者は安倍―トランプの蜜月関係を好ましく思い、批判者は蛇蝎のごとく嫌っていた。

普段ナショナリズムを否定しがちなリベラルの中にも「アメリカの犬になりやがって!」との批判が見られたほどだ。だがいずれも安倍氏とトランプ氏が同じ側に立っていると認識していた点では変わらない。

いや、「安倍晋三は国際基準ではリベラル」と解説する人もいたにはいたが、国内での「親安倍」「反安倍」の対立は、「保守VSリベラル」の軸で展開されてきたのである。

安倍政権期の対立は、いずれも「安倍=右派」というイメージからのみ、一方は支持し、一方は批判してきたのではないか。だとすれば、そもそもの出発点から全く間違っていたことになる。

これは安倍政権が掲げた「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズに象徴される。保守派はこれを憲法改正の実現や自虐史観からの脱却を目指すものと受け取り、リベラル派は戦前回帰、軍国主義化の傾向を強めるものと見なした。

だが実際に安倍政権が目指したのは、「第二次世界大戦後、さらには冷戦終結後のリベラル的な国際秩序の中で、それに資するべく日本の役割を変える」という、いわば離れ業だったのである(ここで、YOASOBI「アイドル」の歌詞全体を思い出していただきたい)。