任意の事情聴取というくせ者
袴田さん1人を重要参考人として捜査対象にし、任意という名の、実は厳しい取り調べが開始されたのだった。
しかし、被害者の服装がパジャマ姿でなくYシャツ姿などであったことや、腕時計をしている被害者も複数いたという状況からすれば、殺人は全員がまだ起きている早い時間ではなかったのかと疑われる。金品の物色はその後、長い時間をかけて行い、午前2時前に死亡推定時刻をわからなくするためにわざと物音をたて、その後放火したと推理する方が自然であると思われる。
時間を早くすると袴田さんのアリバイが成立してしまうので、捜査側が犯行時刻をあくまでも「未明」にしたということなのだろう。
任意の事情聴取なのだから嫌なら断ることもできる。だが、刑事はさまざまな圧力や脅しをかけるので、仕事を休み出頭せざるを得ない状況に置かれる。
袴田さんは、犯人ではないという理由を懸命に語り、刑事の質問に誠心誠意供述し続ける。一方、刑事は袴田さんの重要な供述を一つずつ、崩す証拠を作り上げていく。
犯行時間はアリバイのない時間帯を選び、犯行時の服装をパジャマと断定。さらに裏木戸から出入りさせることによってガソリンを取りに行く導線を確定するなど(捏造あるいは虚構によって)証拠を揃えた段階で逮捕したのが8月18日だった。袴田さんは、ひと月半もの間、いくら潔白を主張しても信じてもらえなかったのだ。
冒頭陳述を変更した、あり得ない裁判
1966年9月9日、検察は袴田さんを「住居侵入、強盗殺人、放火事件」で静岡地裁に起訴し、冒頭陳述で、袴田さんが子供と一緒に暮らすアパートを借りる金銭を奪う目的で、パジャマを着用して強盗に入ったと起訴事実を述べた。
ところが、パジャマから検出された血液とガソリンは再鑑定ができないほどの微量であったため、公判の維持ができないとみたのか、一審の公判中の1967年8月2日、検察は工場内の味噌醸造タンクから、従業員が発見したはっきりと多量の血がついた5点の衣類を証拠として提出し、冒頭陳述で述べた起訴事実の着衣の内容を、パジャマからその五点の衣類に変更したのだ。
この発見は全く不可解なものだった。前年の家宅捜査の際、味噌タンクはすべて詳細に調べてあった。真犯人がタンクに入れたというのであれば、それはすなわち袴田さんの犯行ではないことを証明したようなものなのだが、9月12日実家を家宅捜索してズボンの共布を発見、「袴田のズボンに間違いない」という証拠を添えたのである。
驚くべきことは、裁判所がそれを認めたことだ。人権を守るための刑事訴訟法の趣旨から考えれば、公訴そのものが無効であるはずで、アメリカならばその時点で無罪放免になっているだろう。袴田事件はそのまま公判が維持され、静岡地裁は判決において、次のような殺害等の方法を推認して死刑判決を下したのだった。