「自分は同性愛者になってしまったのでは」と不安になる
男性が被害を相談しないのには、さまざまな理由があるでしょう。第一に考えられるのが、「自分は同性愛者になってしまったのではないか」という不安です。同性と性的接触をもつことは、同性愛者であることを意味しません。まして、その接触は同意なく行われたものです。
けれど被害者となった男の子たちの多くが、みずからそう思い込み、人に知られてはならないと胸にしまい込みます。「相談したら、相手は自分のことを同性愛者だと思うのではないか」という心配から、口を閉ざす選択しかできなくなるのです。
ひとつ付け加えるなら、同性愛者のあいだでも性暴力はあります。ただ、少なくとも日本では「同性愛者間による性暴力」はほとんど調査されていません。そのため実態は不明ですし、被害届を出したり告発したりといった形で表に出てくるケースは、異性愛者間の性暴力以上に少ないはずです。その理由は、日本社会にまだまだ性的少数者への偏見があるからに尽きるでしょう。
警察に被害を申告し、事情聴取を受ければ、どこかの段階で自分が同性愛者であることを明かさなければなりません。望んでいないタイミング、相手へのカミングアウトは、人の尊厳にかかわります。異性愛者にも同性愛者にも、性暴力被害に遭っていい人などひとりもいません。すべての被害者が被害を打ち明けやすく、いち早く支援とケアにつながる社会が求められます。
快感があったとしても性被害は性被害
話を男児の性被害に戻しましょう。性暴力に遭った苦痛に、「同性愛者になってしまった/そうみなされるかもしれない」という悩みが加わり、「このことを誰にも知られてはいけない」とひとりで抱えてゆく人生は、過酷です。
また、加害者の性別を問わず男児の性被害には、快感や勃起、射精という身体反応を伴うことがあります。これも、被害を被害と認識するのを阻む、大きな要因です。女児の被害も快感を伴うことはありますが、男児には勃起、射精など自他ともにはっきりわかる身体反応があるため、加害者から、「お前も楽しんでいたはずだ」と言われることもあります。大人がしっかり覚えておきたいのは、快感があったとしても被害は被害だということです。
矛盾していると思われるでしょうか。快感は物理的な刺激に対する肉体の反応であり、それ以上でもそれ以下でもありません。鼻の穴にこよりを入れると、くしゃみが出るのと同じで、そこに意思は関係ありません。それをもって、被害に遭った男児がその後長期間にわたって「自分も望んでいたのではないか」「本当にイヤなら、射精はしなかったんじゃないか」という考えにとらわれることを想像すると、やりきれないものがあります。