なぜ福沢はカネにこだわったのか

ただ、そうしたA面の仕事も正確に伝わっているとはいえない。誤解されることも多かった。諭吉は生前、必ずしも評判がよくなかった。

文明社会でしがらみに縛られず、自立して生きるにはお金は必要不可欠だと説いたことで、「三田の拝金宗」「拝金宗の本尊」などとも批判された。「文明男子の目的は銭にあり」など過激な表現をあえて使うことで啓発したため、本意が理解されず、金にうるさいやつだと思われたのだ。

諭吉の思想は徹底した反封建思想だった。

江戸時代の封建制度下では金銭は蔑視されていたが、金銭は元来、自由で平等だ。だからこそ、支配階級の武士は金の力を抑えつけた。金銭を軽蔑する儒教を振興させた。

ただ、明治になり開国し、欧米に派遣された者たちは金融制度の整備の重要性を知った。政府に召し抱えられず、民間でその役割を担ったのが幕末に海外に渡った渋沢栄一であり、諭吉だった。渋沢は実業で、諭吉は教育と言論で資本主義の基礎を日本に根付かせようとした。

だからこそ、諭吉は封建制度を徹底的に批判した。ときに露悪的に振る舞った。自伝では「門閥制度は親の仇でござる」とまで書き、士族のふるまいを徹底的にこきおろしている。

父と息子は一枚の着物である

もちろん、金をひたすら追求せよとは諭吉はいっていない。金は自由になるためには重要であり、それ自体を目的にするものではない。「経済に大切なるものは、知恵と倹約と正直」と書いていて、そこには「拝金」の色はない。それは桃介が紆余曲折はあったものの、事業こその人の使命という考えに至ったことと重なる。

桃介と親しかった大西理平(『福沢桃介翁伝』の編者)は諭吉(先生)と桃介は「非常に懸隔あるも、実質は一枚の着物である。ただ先生は表を着、桃介氏は裏返しを着たまでである」と評している。

諭吉には4人の息子がいて、本来ならば婿養子はいらない。諭吉にも桃介が同じ着物を着ていることが見えていたのかもしれない。

参考文献
大西理平『福澤桃介翁傳』福澤桃介翁傳記編纂所
福沢桃介『福沢桃介式 比類なき大企業家のメッセージ』パンローリング
福沢桃介『桃介は斯くの如し』星文館
福沢諭吉『福翁自伝』講談社

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