93年細川政権で生まれた「第三極政党の幻想」
今回の選挙結果は31年前の1993(平成5)年、中選挙区制時代の衆院選で起きた選挙結果に近い。今回同様「政治とカネ」問題で大きな批判を受けた自民党は、比較第1党となったものの、衆院で過半数を割った。一方の「非自民」勢力も過半数を制することができず、選挙後の多数派工作の結果、「非自民」側が第5党だった日本新党の細川護熙代表を首相に担ぐことに成功。自民党は結党後初めて野党に転落した。
細川政権の樹立自体は、55年体制という「昭和の政治」を終わらせ、日本の政治を大きく前に進める歴史的な出来事だったが、選挙後の永田町政局で政権の帰趨が決まったことは、必ずしも望ましいことではなかった。
また、第5党から首相が出たことは、その後「大政党を率いなくてもキャスティングボートを握り、楽に影響力を持てる」という幻想を政界に与え、その後「第三極」政党が断続的に誕生しては消える政治を生んだ。
「比例代表並立制」の弊害
衆院への小選挙区制導入は、選挙後の政局ではなく、与党と野党第1党が選挙で政権の座を争い、民意を得て勝った党が政権を担う形を目指した。しかし「比例代表並立制」となったことで、衆院に「第三極」政党が存続する余地が残った。
比例代表並立制自体は、選挙区で1人しか当選せず死票が非常に多くなる小選挙区制の弱点を補う効果もあり、否定すべきものではない。だが、1993年衆院選のように「与党と野党第1党がともに過半数を得られず、第三極政党がキャスティングボートを握る」ことを排除できない、という制度上の欠点を残すことにもなった。
そして今回の衆院選で、それが現実になったのだ。
しかし、それが「第三極」政党にとって必ずしも好ましいことだとは言えない。冒頭に述べたように、これらの「第三極」政党は結局、与党と野党のどちらかを選択することを迫られ、やがて分裂したり自民党に吸収されたりして衰退していったからだ。自由党、保守党、保守新党、みんなの党……。こうした例は枚挙にいとまがない。