※本稿は、黒木登志夫『死ぬということ』(中公新書)の一部を再編集したものです。
がん研究医は62歳で多忙なとき、典型的な狭心症になった
この例は、私の狭心症である。1998年、62歳のとき、私は次期日本癌学会会長として、忙しい日々を送っていた。ある朝、東急目黒線の洗足駅から当時勤務していた昭和大学まで歩いているときに、胸骨のあたりを後ろから押されているような不快感があった。教授室に着き、水を一杯飲むと治まった。
数日後、家から駅まで歩いている途中でまた胸に不快感があった。立ち止まるとすぐに治ったが、今度は狭心症を疑った。中年の男性が、朝の出勤途中に胸が痛くなるというのは狭心症の典型だ。食事の後、血液が胃に集まり、心臓へはおろそかになるためである。
すぐに循環器内科で検査を受けた。運動負荷をかけると典型的な狭心症の心電図であった。さらに心臓の血流を調べたところ、心臓の先の方に血流が不足していることがわかった。間違いなく狭心症であった。
2週間後に、私はタイの王様の72歳を祝う国際シンポジウムに招待されていた。この状態でタイに行くわけにはいかない。私は座長に国際電話で断りを入れ、妻と2人分のタイ国際航空ビジネスクラスの招待チケットもキャンセルした。そのとき、妻が晩餐会用のドレスを買いにデパートに行くと言っていたのを思い出した。急いで電話したところ、幸いにもまだ買いに行っていなかった。タイ王室で盛大な晩餐会が開かれているころ、私は目黒駅前のタイ宮廷料理レストランで家族と食事をした。
心臓など循環器の病気は、突然死のリスクが高い
次の週、私は昭和大学循環器内科に入院した。心臓カテーテルによって、詰まっている冠動脈にステントという金属メッシュの筒を入れて、95%狭窄している部分の通路を確保した。詰まっていたのは危険性の高い柔らかい血栓であった。柔らかい血栓の方が剝がれると、その先で詰まり、心筋梗塞になるリスクが高い(「不安定狭心症」)。正直、危ないところであった。以来、25年のあいだ1回も再発していない。ステントの効果はすごいものである。
循環器の病気が恐ろしいのは、突然死のリスクが高いためである。考えてみよう。あなたが今晩風呂に入っているときに突然死ぬかもしれないのだ。家族は驚き、悲嘆に暮れるであろう。死ぬための心構えも何もできていないあなた自身にとっても、これほど無念なことはない。