現代は逃げるための環境が整ってきている
雇用形態も大きく変わりました。年功序列や終身雇用は終わりを告げ、将来安泰と思って就職したはずの会社でも、業績が悪化すればいつリストラされるかわからない不安に脅かされています。
DV(ドメスティック・バイオレンス)においては、配偶者暴力相談支援センターがあり、「配偶者暴力防止法」(DV防止法)という法律によって守られています。
これまで泣き寝入りするしかなかった家庭内の暴力が、夫婦であっても相手にケガをさせれば傷害罪が成立します。
いわば逃げる環境が着実に整ってきているのです。
夏目漱石もストレスを受けやすい人間だった
統合失調症とうつ病に共通するのが、
「消えたい」
「死んだほうがラク」
「死ぬしかない」
「自分はいないほうがいい」
といった感覚に支配されてしまうことがあることです。
江戸時代は、ガチガチのムラ社会でしたから、共同体からの離別は、死を意味しました。
しかし、明治以降になって、夏目漱石のような文学者らが共同体から個人を析出するのを後押ししてくれたように感じます。
漱石は勉強熱心で、どの教科でも首席の成績で、23歳で帝国大学(のちの東京大学)の英文科に入学します。このころから悲観主義・神経衰弱に陥り始めます。夏目漱石もストレスを受けやすい性質を持っていたといわれています。
大学を卒業したのち、英語教師として働き、33歳のときに文部省から英語教育法研究のために英国留学を命じられ、単身でイギリスに渡ります。
しかし、国からの生活費は少なく、初めての土地でのひとり暮らしで神経を衰弱させました。
そんなとき、友人の高浜虚子が勧めたのが文章を書くことでした。漱石は、筆を執ると文才を発揮し、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『それから』『こころ』など次々に名作を生みだしました。