麻生氏は21日ごろ、決選投票について、麻生派として「石破vs.高市」なら高市、「高市vs.小泉」なら高市、「石破vs.小泉」なら石破で行く、と周辺に明かしていた。
その後の情勢を見て、茂木氏とともに、高市氏を推すことで勝ち馬に乗るという思惑があったのだろう。26日夜、岸田首相に電話し、高市氏支持を伝えるとともに、「また麻生、茂木、岸田の三頭政治で行きましょう」と政権運営をめぐる提案にまで踏み込んだ、と読売新聞が報じている。
「高市対男なら男。男対男なら…」
岸田氏にとって、高市氏は構想外だ。現職閣僚ながら、防衛費増額のための増税に「理解できない」と異議を唱え、能登半島地震が起きると、復旧・復興を優先に大阪万博の延期を求めるなど、政権をかき回してきた。高市氏が首相に就任しても靖国神社参拝を続けると広言し、日本外交を不安定にしかねないことも、支持できない材料の一つだった。
岸田首相は自分が身を引く以上、後継首相に衆院選に勝ってもらわないと困ると考えていた。世論調査で支持率が高い小泉、石破両氏に期待感を持ったが、岸田路線の継続という観点などから、石破氏支援に傾く。岸田氏にすれば、麻生、茂木両氏との連携は、首相を退陣すれば、不可欠ではない。政権運営の危機に当たって幹事長業務をサボタージュした茂木氏、自身の総裁再選に協力的でなかった麻生氏との関係を無理して維持する意味はあるのか、と自問したことだろう。
岸田氏は、麻生氏の提案を受け入れず、投票日の27日午前、旧岸田派内に決選投票への対応について、固有名詞は出さずに「高市対男なら男。男対男なら党員票が多い方で行く」との意向を伝えたのである。
「日本会議に党を乗っ取られるな」
旧岸田派では「日本会議(保守右派系の政治団体)に党を乗っ取られるな」(党三役経験者)との危機感から派内外が石破氏でまとまったという話も聞こえる。
決選投票では、石破氏に対し、旧岸田派、菅氏が率いる無派閥グループ、森山総務会長ら旧森山派、武田氏ら旧二階派の一部の議員票が積み上った。
これに比し、麻生氏の指示は麻生派内に徹底されなかった。第1回投票から高市氏に入れた議員は半数程度との見方もある。上川陣営に加わった鈴木財務相(麻生氏の義弟)や猪口氏らは、第1回投票では上川氏、決選投票でも石破氏に投票した。高市氏の主張に共感できなかったからだ。
河野氏の推薦人らは決選投票で高市氏に入れたが、第1回投票は河野氏に投票した。河野氏や派閥のこの先を考えれば、みっともない議員票は出せないはずだったが、河野氏の第1回の議員票は22票にとどまった。自らの再起、亀裂が走った麻生派の再建が河野氏に求められるが、その道は容易ではない。
石破政権誕生で、権力の重心は「菅・岸田」連合に移った。主要人事で、菅氏が副総裁、菅、岸田両氏に近い森山氏が幹事長に就き、官房長官と政調会長に旧岸田派の林氏、小野寺元防衛相、財務相に菅氏に近い加藤氏(決選投票で高市氏に投票)が起用されたことからも論功行賞は十分見て取れる。