40代前半で独身のNさんは、稼ぎのある男性を探すことより自分がキャリアを築き自立することが最優先だったという。その背景には専業主婦の母の影響がある。合理的で前向きな結婚、キャリア観をライターのあたそさんが取材した――。
ダウンタウンを歩くビジネスウーマンの背面図
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離婚したいときに離婚を選択できるのは健全な社会

厚生労働省「人口動態統計」によると、熟年離婚が過去最多の23.5%を記録した。離婚そのものに関しては直近20年で減少傾向にあるらしいが、2022年は離婚した夫婦のうち4組に1組が、20年以上連れ添って別れた「熟年離婚」にあたるようだ。

現在、離婚は珍しいものではなく、統計上では3組に1組が離婚を経験している。離婚を選択したところで、「嫁の甲斐性がないから」「女性が我慢するべき」「片親では子どもが可哀想」などと言われる機会はゼロではないにせよ、ひと昔前と比較すれば減っているように思う。共働きが一般的になり、女性が手に職を付けて経済的に自立しやすい社会になっていることも要因のひとつとして挙げられるだろう。

「離婚」と聞くと、ネガティブな印象を持ってしまうが、今は男性も女性もひとりの力で生きていくことができる。そんななか、離婚したいときに我慢することなく離婚を選択できるのは、社会的にも夫婦にとっても健全であると言えるのではないだろうか。

専業主婦にはならないと強く誓った理由

私の母は、私・弟・妹の3きょうだいの世話を一手に引き受けながら専業主婦として暮らしていたのだが、私はそんな母の姿を見ているのが嫌だった。

父は家庭を顧みず、まともに家事をしている姿を一度も見たことがない。インフルエンザになっている母親にも料理をさせるような人だった。何か言い合いになれば、「誰のおかげで生活できていると思っているんだ!」と怒鳴り、手が出る。お互いの怒鳴り声が止んだと思えば、キッチンで嗚咽を漏らす母の姿を幼い頃から何度も目にしてきた。

母には、ずっと趣味らしい趣味がなかった。お菓子作りだって子どものためだったし、庭で大切に育てていたバラの花たちも「邪魔だから」という理由で父に突然撤去されてからは、何の世話もされていない。我が家の庭は荒れ、廃れていった。

私たち3人の子どもから手が離れるようになってからはパートとして働きに出るようになるが、専業主婦だった頃の母は趣味がなく、夜や休日に自由時間を持つことも許されず、欲しい物すら好きに変えなかったのだと思う。私は、自由に生きている母の姿を今まで一度も見たことがなかった。

それでも離婚という選択をしなかったのは、世間体とお金のためだったのではないだろうか。母の姿を間近で見てから、私は専業主婦にはならないし、自立した生活が送れる給与の得られる職に就こうと心に強く誓った。