9月28日、公明党の新代表に前幹事長の石井啓一衆議院議員が選ばれた。創立者の池田大作氏の死去から約一年が経ったが、今後の公明党はどうなるのか。『宗教問題』編集長の小川寛大さんは「公明党の代表は、かつては支持母体である創価学会出身の“宗教活動家”が代々務めていたが、今回初めて官僚出身の学歴エリートが選ばれた。これは公明党の歴史上特筆すべきことだ」という――。
公明党新代表に決まり、記者会見する石井啓一氏=2024年9月18日、国会内
写真=時事通信フォト
公明党新代表に決まり、記者会見する石井啓一氏=2024年9月18日、国会内

異色の存在となった公明党の新代表

9月28日の公明党党大会で新しい党代表に就任した石井啓一氏(衆議院議員)は、公明党の歴史のなかで特筆すべき存在となる。それは何かというと、彼が元官僚だったということにある。

今の国会議員のなかで官僚出身者など珍しくもないが、「公明党の代表」となると、少し話が異なる。まず、前任の山口那津男氏は弁護士出身。その前の太田昭宏氏は、もともと公明党の母体である新宗教団体・創価学会の青年部長を務めていた人物で、「創価学会のプリンス」などとも称されていた、すなわち“バリバリの宗教活動家”だった。さらにその前の神崎武法氏は検察官だったが、いわゆる行政官僚ではなかった。

その前の浜四津敏子氏、藤井富雄氏(公明党が「公明新党」と「公明」に分裂した際に、公明代表に就任)、石田幸四郎氏、矢野絢也氏、竹入義勝氏らともなると、これまた創価学会のバリバリの活動家出身で、学会のカリスマだった故・池田大作名誉会長の側近のようなことをしていた人物も、多々含まれる。

一方で石井啓一氏は1958年、東京都に生まれ、東京大学を経て旧建設省に入省。十数年の官僚暮らしを経て93年に公明党の衆議院議員となり、現在に至るという人物である。創価学会の中央よりも、“国家の中枢”の何たるかをしっかりこの目で見てきたことのある存在で、そしてその種の政治家(官僚出身者)が公明党のトップとなったのは、これが初めてのこととなる。

すでに述べたように、公明党とは創価学会を母体とする、紛うことなき宗教政党である。

しかし、その学会のカリスマ・池田大作氏が世を去った後、公明党はそのトップに“宗教活動家”ではなく、初の官僚出身者を就けた。この意味するところはやはり、これからの創価学会・公明党が、「一人の絶対的カリスマによって率いられる体制」から、そのあり方を変えようとしている、ということではないのだろうか。