「継いだほうが楽しそうだなと思って」

澤口莞平さん(釜石高校1年)。

連載第1回目《http://president.jp/articles/-/7907?page=2》で、「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者に向けられた孫正義のビデオメッセージのことを書いた。「参加者の皆さんは、それぞれ違う夢を持っていると思います。『起業家になりたい』という人もいるかもしれません。『パン屋さんになりたい』という人もいるかもしれません」——そして、実際にそう答える高校生に釜石で会った。岩手県立釜石高等学校1年生の澤口莞平(さわぐち・かんぺい)さんだ。

「パン屋さんになりたいです。家がパン屋なんで」

同席した女子たちが次々に話す。「沢口製パン、釜石のパンです」「給食も沢口製パンだよね」「うん、あのコッペパン」

みなさん澤口さんの家に詳しい。つまり家を継ぐということですね。

「はい。長男です。下に妹がひとり」

お父さの代からパン屋さんですか。

「いや、じいちゃんか、ひいじいちゃんとか、そのあたり。もともと家はお菓子屋だったらしくて、じいちゃんぐらいのときから、パンをつくるようになったみたいです」

澤口さんには「きっかけは?」と訊くよりも、こう訊いたほうがよいかと思います。自分自身の中では、パン屋さんを継ぐということを疑問に思ったり、浮気しようと思ったことはありませんか。

「なんかほかのことやろうとしても、すぐ飽きるっていうか、やりたいと思わないから、家でそのまま継いだ方が楽しそうだなと思って」

親御さんとのあいだで「沢口製パンを継ぐ」という意思確認はすでにしているんですか。

「いや、ないです。なんか『好きにしていいよ』ってかんじです」

でも継ぎたい、と。パン屋さんという仕事のいいところはどこですか。

「もともと両石(りょういし)に会社があったんですけど、両石町内のおばさんとかが働きに来ていて、一緒に仕事をやっていて。ちっちゃい時からいつも工場でおばちゃんたちと話をしてたんですけど、そういう楽しいかんじで仕事できるパン屋っていいなって思ってました」

両石はJR山田線(現在も不通)で釜石駅からひと駅北の集落だ。津波は谷間に沿って20メートル近い高さまで遡上し、集落を呑み込んでいる。澤口さんによると、震災前の沢口製パンでは「父、母、祖母。従業員2人、パート5人」が働いていたという。沢口製パンは今はどのような状態なんですか。

「津波で流されて、工場は建ったんですけど、まだ機械が入ってなくて、仕事はまだやってないです。来年(注・2013[平成25]年)に機械を動かし始めるって言ってました」

津波はパン工場だけでなく、澤口さんの自宅も呑み込んでいる。現在、澤口さんは仮設住宅暮らし。工場が再開すれば、そこは澤口さんの将来の職場となるわけだが、澤口さん、パン屋さんになるには、どんな免許が要るんですか。

「製菓衛生師とか。大学とか行ってすぐパン屋になるのもいいですけど、なんかちょっと自分でやりたいことを見つけて、でも最終的にはパン屋、みたいなのもいいかなと。でもなんか、特に何をやりたいか決めてないですけど(笑)」

製菓衛生師は国家資格。「厚生労働大臣の指定する製菓衛生師養成施設において1年以上製菓衛生師としての必要な知識、技能を修得した者」もしくは「中学校卒業以上で、食品衛生法第51条の規定による製菓製造業施設において菓子製造業に2年以上従事した者」が受験資格を持つ。澤口さん、お父さんはおじいさんのあとをストレートに継いだのですか。

「ストレートです。高校のあとに、経済だか商業系の専門学校に入って、そっちの仕事をそのまましようとかとも思っていたらしいんですけど、ちょうどそのときにじいちゃんが病気になって、すぐ帰って来なきゃいけなくなって、そのまますぐ継いだと言っていました」

そういう経験をしたお父さんだから、澤口さんには「好きにしていいよ」と言ってくれているのでしょうか。

「はい」

澤口さんが「寄り道」をするとしたら、釜石から出ますか。

(明日に続く)

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