この3つの思想のうち、どれが正しくてどれが間違っているかについて明確な結論は出せない。それぞれ欠点と長所を持っている。それぞれの社会や企業はその欠点が深刻にならないような工夫を慣行として生み出している。
かつての日本では多元論をもとに企業統治が行われていたが、法律は株主一元論をもとに制定されていた。最近の法学者の間では株主一元論が支配的である。昔は、法学者の中にも会社制度論が存在した(たとえば大隅健一郎『株式会社法変遷論』有斐閣、1953年)が、いつの間にか株主一元論が強くなってしまった。しかし、合理的な根拠があるわけではないだろう。
株主一元論をもとにした会社統治が日本の企業と社会にさまざまな問題をもたらし日本企業の競争力を削いできたことは、このコラムで何度も書いてきた。日本だけではない。アメリカやイギリスを見ると、株主一元論をもとにした社会では長期的に存続しうる企業をつくるのは難しいようである。アメリカでも、60年代半ばごろまでは、多元論が支配的であった。そのころのアメリカ企業は元気だった。
その意味で株主一元論を是正しようとする民主党の狙いは正しいが、監査役会に従業員代表を入れることを法律で義務付けようとする動きは誤りである。
おそらくこの法律の改正は、ドイツの共同決定法からヒントを得たものであろう。しかし、ドイツの監査役会と日本の監査役会とは権限と責任が大きく異なる。ドイツの監査役会は取締役会の上位に位置し、取締役の監視と任免を主たる任務としている。日本の監査役会は、それと比べると権限は小さく、不正や誤りを摘発し再発を防ぐという監査機能にその役割が限定されている。
このような監査は、さじ加減の難しい仕事である。やりすぎると業務を渋滞させてしまうし、やり足りないと大きなリスクを生み出してしまう。また、現場に精通していることが必要だが、現場べったりだと仕事にならない。この2つのさじ加減が従業員代表に務まるかという不安がある。従業員代表の声を反映させるのであれば、監査役会ではなく、取締役会に参画させるべきなのかもしれない。