取材記事よりも記者会見のほうが“数字”を稼げる

しかし、新聞社からかなり小規模なインターネットメディアに移籍して常識が揺らいだ。国民的なアイドルグループが解散する、注目される当事者が自身の不祥事について語る……。社会的に注目が高い記者会見でいかに早く一問一答を流すことができるか、会見会場に入ることができればできたで、どれだけ他社とは違う切り口で会見原稿を出せるかを考えてアウトプットにつなげることもまた“一部”では正しかったことだ。

コンテンツとしての記者会見はやはり魅力的なのだ。直近で言えば旧ジャニーズ事務所や小泉氏の出馬会見が典型だが「知名度がある人物または法人×社会的インパクト」が揃えば、社会的な関心はある程度見込めるし、事実として、記事の数字はかなり良く出る傾向にある。ページビューも上がり、SNS上のシェア数もいい。

丁寧に取材を尽くして書くようなルポルタージュよりもはるかに楽であるにもかかわらず、社会的な注目度も高さに比例して、かなりあっさりと数字が取れてしまう。

今では大手メディアもこの手の競争に参入してきたので、かつてほど楽ではなくなってしまったが、コスパの良さに変わりはない。こうした現実への違和感も確かにあったが、人数の少ないメディアにとってコスパの良さは圧倒的な魅力だ。人間は楽な現実のほうに流されていく。

記者会見
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“忖度なしの質問”をどう評価すべきか

そんな経験を経てから眺めると、記者会見で目立つようなパフォーマンスをしようと躍起になっているジャーナリストたちの姿はある意味では極めて経済合理的であることがわかる。厳しい追及をして何かと戦っているかのような「絵」を徹底して作り込んで、それを支持する視聴者から拍手喝采が送られる。実際には取材相手にあっさり切り返されるようなものであっても、大きな問題にはならない。

今のように記者会見のエンタメ化が進んだ時代においては、名前を売り込むだけで十分アピールになるからだ。

「ジャーナリスト」側にも主催者からいかにして当てられるような状況を作り、はためには尖った質問をすることでSNSやメディアを騒がせるかというインセンティブは十分にある。目立つことで新しい仕事が生まれることがあれば、文字通りの意味で儲け物だ。批判が殺到すれば「核心を突いたことで自民党支持者が騒いでいる」とでも返しておけばいいし、賞賛が一部でも出れば「大手マスメディアにはできない忖度そんたくなしの質問をやってのけた」と豪語すれば支持者は沸くだろう。

こうしたジャーナリストにばかり注目が集まるのは、業界にとっても不幸なことである。