画期的な城下町

一階と二階部分は残存していたというから、真ん中(三階)から折れて吹き飛んだのだろう。倒壊したさい、その振動や音は数里先まで聞こえて、近隣の住民を驚愕させたという。それだけではない。この事故で多くの犠牲者が出てしまったのだ。なんと180人が亡くなり、多数が負傷したと伝えられる。

しかも、このとき天守に上がっていた作事奉行の平松喜蔵は転落死している。石田清兵衛も天守におり、15メートルほど吹き飛ばされて墜落したが、傘を持っていたのでどうにか死は免れた。ただ、このときの事故で負傷し、一生身体が不自由になってしまったという。

天守倒壊後、高虎が新たに天守を建てることはなかった。一説には、わざと豊臣方を安心させるために崩したとか、巨大な天守をつくって徳川方に疑われぬよう取り壊したという説もあるが、さすがにそれはあり得ないだろう。