「排他性の基準」という愛の証し

前回、1980年頃までは、たとえ恋人であっても結婚前に性関係はもってはいけないという意識が強かったことについて述べました。同じように、結婚後はもちろん、お付き合いを始めたら、交際相手以外の異性と親しくすることさえもいけないという意識が存在したのです。

だから、気になる異性がいたらグループ交際を勧められ、お付き合いが始まると「異性の友人」になり、告白したら「恋人」、そしてプロポーズを経て、結婚がゴールとしてある。途中で途切れたら、それは失敗。振り出しに戻って、結婚に至るまで同じパターンを繰り返す。親しくなりたい異性を絞っていって、一旦親しくなったら、その相手とのみ親密関係が許され、他の異性との交流を絶つということが、当時規範としてあったのです。

「異性の友人」は、恋人の一歩手前の存在。だから、恋人や配偶者がいるにもかかわらず、異性の友人と親しくするのは、二股をかけているのと同じ、誠実ではない、愛情がない証拠、だから許されない。そう考える人が昔は多かったのです。

これを「排他性の基準」と呼んでおくことにします。恋人や配偶者との関係の特別性は、他の人との間に親密な関係を作らないことによって保たれる、という考え方です。つまり、「あなただけしか親しくしないのが、愛の証し」ということですね。

そしてそれは、交際相手との親密性の中身には関係ない。例えば、先の人生案内の例で見たように、夫婦間に愛情がなかったとしても、他の異性と親しくするのは許されないと考える――。「交際相手」は一種の「特権的な地位」なのです。

異性の友人とどこまで親しくしてもかまわないか

もちろん、年配者だけでなく、現代の若い人でも、恋人がいるのに、異性の友人の存在を許さないと考える人もいます。

毎年、家族社会学の授業を受講している学生に次のようなアンケートをしています。今年は200人あまりの学生が回答しました。読者のみなさんは、どう答えるでしょうか。

質問内容は、「恋人以外の異性との交際がどの程度まで許されるか」を訊いたものです。

【図表1】中央大学学生授業アンケート 「家族社会学」受講学生対象

みなさんの回答と比較してどうでしたか。現代の大学生に限っても、「恋人がいる人」が「異性の友人との付き合い」に関して多様な意見をもっていることがわかります。

図表内の設問Aの「メールやラインで個人的なやりとりをする」について、さすがに⑤の「許せない、即、別れる」という人はいませんでしたが、2人(約1%)は④の「やめなければ別れる」と回答しています。

一方、Dの「キスをする」、Eの「性的関係をもつ」では、回答者のほぼ4分の3が⑤「許せない、即、別れる」を選択しています。でも、1割ほどは、①「気にしない」、②「嫌だけど何も言わない」を選んでいます。

BとC、「二人きりでカフェでおしゃべりをする」や「二人きりで一緒に遊びに行く」は、意見が分かれます。平均すれば、③「『やめて欲しい』と言うが、許す(別れない)」、になるのでしょうが、①「気にしない」人もけっこういますし、⑤「即、別れる」という人もそれなりにいます。