「推し」の対象になった安倍元首相

もう一つ、仮説として挙げておきたい観点がある。安倍政権と比較して岸田政権が広報に失敗したとみられる理由は、SNSや動画に出演するインフルエンサーを抑えていなかったことにあるのではないかという点だ。

繰り返すように安倍氏はもともと保守派のアイドルであり、自身が良コンテンツと化していた。そのため、新聞や雑誌からもひっきりなしに声がかかり、テレビではバラエティ番組に出演、ネットでは「え、こんなマイナーなところにも?」と思うようなチャンネルにも出演した。

しかし「出演」だけに意味があるのではない。特にネット番組に顕著だが、一般的に見ればマイナーと思われる番組に出ることで、その番組を主催するネット上のインフルエンサーを「抑えて」いたのだ。

出演して恩を売る。インフルエンサーは感謝・感激する。数字も取れる。基本的には思想的にも近いため同志感を覚えるだろうし、現役総理が出演するとなれば、相応の高揚感や優越感もあるだろう。

さらに視聴者・フォロワーサイドから見れば、「推し」であるインフルエンサーが好意的に安倍政権の功績を解説することで、政策や功績が浸透したのだ。動画を見る視聴者に訴えるだけでなく、インフルエンサーを抑えることで「推しの推しは推し」式にファンを増やしていたのである。

秀逸だった「鵜飼い戦略」

筆者はこうした安倍氏の広報スタイルを「鵜飼い戦略」と呼んでいる。鵜匠たる安倍氏は、鵜であるところの保守系インフルエンサー(各社の記者を含む)に対して、会食や直に電話するなどの機会、情報を飴として与え、つないでおく。

インフルエンサーは安倍氏から得たエピソードを、魚であるところの視聴者や読者にちらつかせることで自らに引き寄せる。もちろん、広く安倍氏自身が魚に直接撒き餌を撒くこともあるが、より確実なのは鵜による漁なのだ。

魚をくわえる鵜
写真=iStock.com/CreativeNature_nl
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鵜というと嫌がる人もいるかもしれないが、鵜匠と鵜の間にはそれなりの信頼関係、同志意識がある(と感じられる)ケースもあっただろう。政権が窮地に立てば、鵜たちはこぞって「鵜匠は悪くない」「批判する朝日新聞こそ悪」とSNSや動画、雑誌などの媒体で宣伝してくれた。そんな鵜たちに、安倍氏は直に電話を入れて礼など言っていた(飴を与えた)というわけだ。

鈴木哲夫『安倍政権のメディア支配』(イースト新書)によれば、安倍氏はマスコミ関係者に直電を入れ、情報を与えるだけでなく「あの政策どう思いますか」などと質問することさえあったという。「恥ずかしい話だが、明らかに取材者の自尊心が満たされる。そんな電話が何度もかかってくると、ついついどこかで安倍贔屓になっていく」と話す大手マスコミ関係者の声まで紹介されている。

政権に多少不満があっても、総理からの直の電話や呼び出しがあれば「悪い気はしない」のが人の心というものだ。