紫式部とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「道長の推挙により、中宮彰子の元へ出仕するが、すぐに実家へ引きこもるようになる。これは彰子に仕える女房たちとの相性が合わなかったことが大きい」という――。
十二単を着る人
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「天皇に直々に献上された源氏物語」への違和感

「古典文学の最高峰」という評価が定着しているから勘違いしがちだが、『源氏物語』は同時代においては、漢詩や和歌よりもはるかに格下の文学だった。そもそも物語という分野が、当時は大衆向けのサブカルチャーであった。

NHK大河ドラマ「光る君へ」の第31回「月の下」(8月18日放送)には、藤原道長(柄本佑)がまひろ(吉高由里子、紫式部のこと)に書かせた『源氏物語』のさわりを、一条天皇(塩野瑛久)に直々に献上する場面があった。

一条天皇が『源氏物語』を読んで評価したことは、『紫式部日記』の記述などからもうかがえる。だが、それはあくまでも、中宮彰子(見上愛)の後宮に置かれているのを読むなどしてのこと。文学として格下とされていたものを、道長が天皇に直々に献上したなど、到底考えられない。

それはさておき、第32回「誰がために書く」(8月25日放送)では、一条天皇がこの物語に反応した。

道長が感想を求めた際、一条天皇は読むのを忘れていたと答えたので、道長はまひろに、物語が帝の心に響かなかったと伝えた。しかし、後日、一条は道長に「物語を読んだ」と伝え、「朕への当てつけか?」といいつつも、「唐の故事や仏の教え、わが国の歴史などをさり気なく取り入れているところなど、書き手の博識ぶりは無双と思えた」と絶賛し、書き手の女に会ってみたいと道長に伝えた。