男性の後輩は「和田さんほどの女性でも限界があった」と述懐

倉田は博識で知られた法律家らしく、「夫婦相互の愛情の証明として、なぜ当然に女の姓が捨てられなければならないのだ」「和田さん程時流をぬきんでていた女性でも、当時はまだ男性本位の社会常識に縛られていたということだ」と矛盾を指摘しているが、前出の統計結果のとおり、嘉子が再婚して68年、この記事が発表されてから30年経った今でも、女性が結婚で姓を捨てることを求められるという社会は変っていない。

ドラマで、航一が「夫婦のようなもの」になろうと事実婚を提案したとき、寅子が言った「でも、私が折れれば(婚姻届を出して姓を変えれば)、『ようなもの』なんて言葉をつけないで済む。私たちならば、折れてよかったと思える日がいつか来ると、今はそう思っているんです」というような気持ちで、嘉子自身も妥協したのかもしれない。きっと自分の気持ちを押さえつけた部分もあったと思われる。

婚姻届に記入しようとしている手元
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ドラマでは寅子にそう言われた航一が「それでは君の僕への愛情を利用した搾取になってしまう」と答えたのも印象的だった。

もちろん、寅子と航一のように事実婚を選ぶカップルも、実在する。法曹界では、福島みずほ弁護士(参議院議員)とその夫である弁護士。芸能界では、第一子の誕生を発表したばかりの黒島結菜と宮沢氷魚など。ただ、今でも圧倒的に少数派だ。

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再婚の挙式はせず、簡単なパーティーで済ませた嘉子

三淵家の人間になることで、嘉子の社会的地位、セレブ感はアップしただろうが、裁判官として男性と同じ国家公務員の給与を得ていた彼女に、「再婚しなければ食べていけない」という経済的事情はなかっただろう。旧姓を捨ててまで再婚したのは、乾太郎への愛情と、41歳の時点で残りの人生を共にするパートナーを得たいという気持ちゆえだったと思われる。

乾太郎と前妻の間に生まれた娘と結婚した森岡茂、つまり義理の娘の婿はこう振り返っている

「義母はいわゆる無宗教の人だった。(中略)義母は義父乾太郎との結婚式も、無宗教式で簡単なパーティーですませてしまった。もっとも義父も宗教心がないという点では似た者夫婦だから、意見がどちらから出たのかはわからない」
(『追想のひと 三淵嘉子』1985年)

再婚して、自分の息子に加え、乾太郎の4人の子の継母となり、乾太郎の父の後妻とも同居することになった嘉子。後妻、継母として義理の子どもたちと揉めることもあったというが、血縁のないステップファミリーでも、とにかく家族を大事にしていたという。

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