「気兼ねなく論戦を行ってほしい」

岸田首相の退陣表明のタイミングは、どう考慮されたのか。首相は8月14日の記者会見の冒頭で、「(訪問を中止した)モンゴル首相との電話会談で、この夏の外交日程を区切りつけることができた。お盆が明ければ、秋の総裁選に向けた動きが本格化する」と述べたが、その力点は後者にある。

8月20日の総裁選管理委員会で後継総裁選日程が決まる。総裁選に誰かが出馬表明した後の不出馬表明では、追い込まれての退陣というイメージが広がり、「ポスト岸田」への影響力はあまり残せない。自らの決断で退陣表明すれば、後継総裁選びだけでなく、この先も麻生、菅両氏よりも若い首相経験者として永田町で政治力や存在感を示すことができるという計算もあったと思われる。

その岸田首相が退陣直前の9月下旬に訪米し、国連総会に出席する案が浮上している。バイデン米大統領との会談も調整され、退任あいさつと同時に、首相経験者として外交にかかわる意思表示の場にもするのだろう。

総裁選への影響としては、早めに退陣を表明することで「ポスト岸田」の候補らが政権構想や政策論争、多数派工作に一定の準備時間を確保することも可能になる。首相を支える立場の党4役も閣僚も動きやすくなる。

首相は、15日の閣議後の閣僚懇談会で「閣僚の中に総裁選に名乗りを上げることを考えている方もいると思う。気兼ねなく、職務に支障のない範囲内で論戦を行ってほしい」と述べ、現職閣僚にも出馬を促した。

これに呼応して閣僚から次々と出馬に意欲を示す声が上がり、総裁選をめぐる動きが活発化したが、首相の真の狙いは、後継者と位置付けている林官房長官が岸田派を基盤に出馬する環境を整えることにあったのだろう。

「うちには河野太郎という候補がいる」

ここまでのプロセスを振り返ると、首相の総裁再選が危うくなったのを見て、21年の前回総裁選から密かに、大きく政治的な立ち位置を変更したのが、麻生氏と河野氏である。

小泉進次郎氏
出典=首相官邸ホームページ(菅内閣 閣僚等名簿より)小泉進次郎氏

麻生氏は前回、安倍氏とともに岸田氏を勝利に導き、茂木(竹下)派を合わせて主流派を形成した。麻生氏は当時、河野氏の掲げる「脱原発」政策、根回ししない政治手法、立ち振る舞いに苦言を呈し、派を割る形の出馬にいい顔をしなかった。河野氏は、菅氏を中心に「小石河連合」と呼ばれた石破茂元幹事長(石破派)、小泉進次郎元環境相(無派閥)、麻生派の一部の支援を受けたが、決選投票で岸田氏に大敗したという経緯がある。

その意味で「岸田降ろし」を仕掛けた菅氏には、総裁選に向け、小泉、河野両氏、無派閥の石破氏、加藤勝信官房長官(茂木派)の4枚のカードがあるのに対し、麻生氏には岸田首相、茂木敏充幹事長、上川陽子外相(岸田派)の3枚のカードがあると言われてきた。

首相の退陣表明を受け、麻生氏が動く。菅氏が最終的に小泉氏を推すという情報も入っていただろう。菅氏の元にあった河野氏というカードを引き抜いて見せたのだ。

麻生氏は14日夜、茂木氏と東京・赤坂のステーキ店で会談し、総裁選出馬への意欲を示されたのに対し、「うちの派閥には河野太郎という候補がいるのだから派閥が一つになって支持することはできない」と伝え、麻生派(54人)として茂木氏を支援することに難色を示した、と読売新聞が報じている。