自分は何とずるい人間なんだろう

ところが試合後、私はまったく反対の行動に出た。

「さっきはすいませんでした」

監督にそう頭を下げるなり、再び涙がとめどなくあふれてきた。

悪いと思ったわけではなかった。ただ、怖かったのだ。反抗的な態度を取ったことで監督に嫌われ、試合に出られなくなってしまうことが。

自分は何とずるい人間なんだろうと思った。自分の言いたいことも言えず、試合に出たいがために自分を偽った。従順な振りをしたのだ。

そんな自分がたまらないほど情けなく、恥ずかしかった。だから、今までその記憶を封印し続けてきたのだ。

だが、八木の言葉によって、その記憶の蓋は勢いよく引っ剝がされた。そして三十数年の時を経て、心底、後悔した。私は謝りたかったのではない。殴られなくてもわかる、人間として扱って欲しいと主張したかったのだ。

あのとき、監督にそう伝えることができていたなら、私の野球人生はどうなっていただろうと思う。

干されていただろうか? そんなことはなかったのではないか。私の恩師は情熱家だったが、一歩引いた冷静さを併せ持っていた。それは私が大人になり、酒席をともにするようになってからわかったのだが、むしろ、そちらの方が本性に近いのではないかと思った。

つくづくそういう時代だったのだと思う。ときにカッとなって手も上げるが、涙もろくて情に厚い先生。学校に一人くらい、そんな教師がいてもいいだろう、と。もっと言えば、求められてもいた。私の通っていた高校は進学校ゆえ手のかかる生徒は少なく、淡々と業務をこなす教師が多かった印象が強い。そんな中、私の恩師は、あえて殴ることも辞さない熱血漢を装っていた節がある。

今にして思うと、決して話してわからない先生ではなかった。いや、むしろ、誰よりも真剣に話を聞いてくれる人だったのだ。

高校生も「自分が思っていることを言っていい」

八木が気づかせてくれたこと。それは高校生も「自分が思っていることを言っていい」というシンプルな真理だった。それは万人に与えられた権利なのだ。

高校時代、私も世の中に「基本的人権」というものがあり、それを「生まれながらにして」有しているらしいことは教師によって脳の中にすり込まれていた。だが、それは私の中でテストの解答欄に書く言葉以上のものではなかった。

私は高校生のとき、まったく知らなかった。「人権」の意味を。

中村計『高校野球と人権』(KADOKAWA)
中村計『高校野球と人権』(KADOKAWA)

自分の輪郭がぼやけてしまいそうになったとき、人は自分で自分を守る権利がある。そんなことを50歳になり、18歳に学んだのだった。

もし、あのときの私にその知識があったなら――。

監督と新たな信頼関係を築くことができたのではないか。そして、プレイヤーとして一段、上のステージに上がることができたのではないか。高校で野球を嫌いにならずに、大学でも野球を続けることができたのではないか。

もっと言えば、今、違う自分がいたのではないか。

そう思うと、後悔してもし切れなかった。

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