晩酌しながらゴキゲンに料理する

母は、大正8年3月5日、横浜生まれ。6人兄弟の上から二番目の長女だったこともあり、小さいときから母親代わりに弟や妹の面倒を見ていたと言います。そのせいか、大人になっても面倒見がよく、仕事でも、私生活においても、せっせと人の面倒を見ている母の姿を思い出します。子供の頃から手先が器用だったので、洋裁学校に行って技術を学び、卒業後は洋裁店を営んでいました。

父との結婚を機に、家業の天ぷら屋に入り、女将として長く父を支えました。慣れない仕事だった上に、お姑さんも一緒だったので、さぞかし大変だったことと思いますが、母の口から文句や愚痴を聞いたことはありませんでした。母は好奇心が旺盛で、何ごとも素直に受け入れる心を持っていたことが幸いしたのか、日々、朗らかに歌を口ずさみながら楽しそうに仕事と家事をしていました。これは最期まで変わりませんでした。

このように母の日常には、自然体で実践してきた健康に生きるコツがたくさんあります。とりわけ、母が大切にしていたのは「料理をつくる」ことです。台所に立って料理をするのがしんどくなってからは、食卓に座ってでも料理をつくり続けました。母は赤ワインが大好きだったので、自作の料理で毎日のように晩酌を楽しんでいました。なんと、亡くなる2カ月前まで赤ワインを飲んでいましたから筋金入りの飲兵衛でした。

赤ワインを手に笑顔を見せるシニア女性
写真=iStock.com/Lizalica
※写真はイメージです

こうやって母を思い返していると、「こういう人が、元気で長生きするのだ」と実感していますね。楽しく健やかに歳を重ねるために、母が残したたくさんのメッセージを、みなさまにお伝えできたらと思います。

しんどければ座ってやればいい

あるとき、母が「料理をするのがちょっとしんどい」と言い出しました。85歳の頃だったと思います。確かに切ったり焼いたり煮たりの作業は、基本、立って行ないます。歳をとれば当然筋力も低下してきます。料理をつくることは、足腰が弱くなってきている老人には結構きつい作業なのだということに気がついた私は、「お母さん、座って料理をつくれば?」と声をかけたのです。食卓に材料や調味料を準備して、座ったままで調理をするというわけです。「それはいいわね!」と、即実行!

これが「卓上クッキング」の始まりでした。

『103歳の食卓』より ニラや細ねぎを切るのには、キッチンバサミが重宝する。ピーラーは帯状のスライスにも役立つ。
写真=鈴木泰介
※『103歳の食卓』より ニラや細ねぎを切るのには、キッチンバサミが重宝する。ピーラーは帯状のスライスにも役立つ。