あれだけ恋しかった畳の上に今、坐っている
おれはトランクをあけて、中から土産ものをとりだしたが、むろん土産といったって、たいしたものはない。外地で買った絵葉書と、前にもらって吸わずにとっておいた恩賜の煙草、それにおわたりの乾パン二袋、たったこれだけだ。
「土産はなんにもないよ。」
と、おれが言うと、母は笑いながら、
「なにが、土産なんかいるもんか。お前がこうして無事に帰ってきてくれたのが何よりの土産だに……。」
という声はもう半分涙声だ。
おれは座敷にあがって、母と妹が用意してくれたお膳の前に坐った。畳の上だ。どうせ死ぬならせめて畳の上で死にたいと、艦でみんなが口ぐせのように言っているその畳の上に、おれはいま、こうしてあぐらをかいて坐っているのである。
なんという安定した、くつろいだ坐り心地だろう。それからこの茶碗だ。お皿だ。小っちゃな湯呑だ。艦の脂くさい、ホーローびきのごつい鉄の食器とくらべて、これはまたなんとすべすべしたやわらかな口あたりだろう。……おれはそこではじめて娑婆に帰ってきた自分を感じた。
思わず返事に詰まってしまった、母からの言葉
母は、おれのそばにくっついて離れなかった。いっときでもそばにいたがった。そうして、いかにもうれしそうにおれの動作や、ちょっとした表情の動きにも目をみはっている。
おれが風呂につかっていると母はそこへもやってきて、
「すこし燃してやろうか、ぬるくないかい?」
と言ったが、おれには母の気持がわかった。母はそれを口実に、おれと二人きりになりたかったのである。
「うん、ちょうどいい湯だよ。」
おれは笑って言った。すると母が急にのどにつかえたような低い声で、
「信や、どうだい? 軍艦ってつらいのかい。」
と、湯気のむこうから顔をつきだした。
おれはいきなりそう聞かれて返事につまってしまった。さっきから、これが母のいちばん聞きたかったことらしい。肩をすぼめるようにして、じっとおれを見つめている。瞬間、おれはなにもかもぶちまけてしまいたい気持とたたかいながら、首をふった。
この母を前にして、どうして本当のことが言えよう。それだけは、たとえ口がくさっても言うべきではない。また、かりに言ってみたところで、どうしてそれが娑婆の母に理解できよう。それでなくてさえ、人一倍心配性の母を、あとあとまでいたずらに苦しませるだけだ。