「職場での挨拶」は必要か否か
6月初旬、インターネットテレビ番組「アベマプライム」の職場や学校での「挨拶」の是非について議論する回(2022年10月16日放送)の切り抜きがSNS上で拡散され、ネット上では何日にもわたって「挨拶の是非」をめぐる大論争が繰り広げられていた。
「挨拶の強制はいまどき時代遅れだ」と挨拶を重視する風潮に違和感を持つ人、「挨拶すらできない人間が社会人をやれるわけがない」と挨拶を否定的に見る声を批判する人など、じつにさまざまな意見が飛び交っていた。
たしかに、日本の会社組織では、ひと昔前ほど「挨拶」については強制的に求められるような風潮はなくなってきていることは事実だろう。労働場所を所定の位置に定めないフリーアドレスやリモートワークが当たり前に普及した今日においては、全員が顔を突き合わせて挨拶することも、もはや時代遅れの風習になりつつあるのかもしれない。
挨拶ほどローリスク・ハイリターンなコミュニケーションはない
時代はたしかに「挨拶は必須ではない」に傾きつつあるように思われる。
だが、それでも私はあえて言いたい。挨拶は積極的にやっておいたほうがよいと。
挨拶は、ぜひやっておくべきだ。ハキハキとした声で、笑顔ならなおよい。
時代遅れだ社畜強要だとひんしゅくを買うかもしれないが、それでも伝えたい。
「笑顔でハキハキ挨拶」は、それをやるために必要な労力(の小ささ)に対して得られるリターンがあまりにも大きく、あえてやらない理由がまったくないからだ。これほどローリスクでハイリターンなコミュニケーションはない。いやローリスクどころか、なんなら“ノーリスク”と書いても言い過ぎではない。挨拶することの失敗リスクは皆無だが、それをやるだけで得られる恩恵は計り知れない。
挨拶自体はその表現も少ないパターンに定型化されているため、表現方法をいちいちゼロベースで創作する必要もなく、ひと工夫したりする余地もなく、これを表出するのに必要な認知的リソースはきわめて小さい。かなりローコストな営為である。挨拶で疲労困憊になることなどまずない。
もちろん時代の流れに沿って「挨拶をあえてしない」という選択の自由はあると思うし、そうしたければすればよいとも考えている。だがそうすることによってセーブできるリスクやコストはきわめて小さく、そのわずかな省エネを成功させる代わりに得られるはずだったリターンを逃してしまうという点を鑑みると、あまり収支のバランスが合わないスタンスであるように見える。