「変態医師」と片づけられない根深い問題がある
では次に、当該診察はA医師が自らの性的欲望のためにおこなったのではないかとの疑念の声についてはどうだろうか。もしそれが事実なら、当然ながら重大かつ許されざる性犯罪だ。しかし私は、本件をA医師個人の性的嗜好の問題に“矮小化”してしまうのは適当ではないと考えている。
注記したようにA医師は顔出しをしており、氏名も出ていることからネット検索すれば過去の経歴や言説も見ることができる。それによると彼は小児内分泌学の専門家であり、国立大学教授、日本小児内分泌学会会長、日本小児保健学会会長も歴任している。
そして彼は記者会見において「これは私の考えだが、小学校の6年間は、成長と成熟のアンバランスを見ることが一番大事」、そして「専門家の立場としては必要なこと。それで見つかる病気の人がいるから、しないよりはしたほうがいい」と述べている。さらには、「私が校医をやっている限りは見る」と、自説を曲げない考えも示した。
もちろんこの発言のみをもって、A医師の行為が自身の性的欲望に端を発したものではないと断定することはできない。しかし私は、本件は「変態医師」が引き起こしたものではなく、「専門医」であるがゆえに引き起こしたものであるとみる。そして、だからこそ問題の根は深いと感じている。
それはどういうことか。
「それほどショックを受けると思ってなかった」
A医師は記者会見で「パンツを開いて陰毛が生えてるか見ただけだが、女の子にとってはかなりショックだったと思う。それほどショックを受けると思ってなかったけど」とも発言している。私はこの一言に今回の問題の本質を見るのである。
この一言を見るだけで、医師であれば当然備えていなければならない「プロフェッショナリズム」が、A医師には著しく欠けていたと思わざるを得ないからだ。
この「医師のプロフェッショナリズム」とは何か。
すべてを説明するのは紙幅の都合から困難であるが、端的に言えば「医師が専門家としていかに振る舞うべきか」という最も基礎的かつ不可欠な素養である。私も臨床研修指導医として医学生や研修医と接する際には、常に意識させ、私自身も常に自省しているつもりだ。
この概念を建物にたとえて説明しよう。まず医師には「医学的知識・医療技術」が最低限の土台として必須であることは言うまでもないが、当然ながらそれだけでは不完全である。患者さんとのコミュニケーション能力が必須だからだ。その上の基礎部分には「倫理的・法的理解」も必須であり、さらにその上に「卓越性」「ヒューマニズム」「説明責任」「利他主義」という4本柱があって、それらが「プロフェッショナリズム」という大屋根を支える。