医師教育は「患者をいかに納得させるか」に偏ってきた

患者さん側からすれば、これらは医師たるもの当然に備えていなければならない素養・資質だと誰もが思うことだろう。現在、医師の卒前卒後教育でも、これらをしっかり教育するようガイドラインで決められている。しかし、これらについての教育が昔からしっかりされてきたかといえば、じつはそうとは自信をもって断言できない。

自分が研修医だった30年前を思い起こしてみても、これらについて系統的に教育・指導された記憶はほとんどないのだ。4本柱のひとつである「説明責任」についても、いかに医師側の治療方針を患者側に納得させるか、いかに患者側に訴えられないよう予防線を張っておくかといった、パターナリズム(父権主義)に基づいた説明態度がむしろ主流であったといっても良い。徒弟制度のもと、先輩医師のそうした「背中」を研修医は見て学んできたのである。

翻って現在は、拙著『大往生の作法』(角川新書)でもアドバンス・ケア・プランニングを例にして述べたように、患者さんの価値観や人権を尊重する「患者中心の医療・ケア」の重要性が叫ばれている。医学教育のガイドラインにプロフェッショナリズム教育が組み込まれているのも、その流れによるものだ。

2人の医師
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子どもだから許されるとでも考えていたのか

だが現場では今なお、徒弟制度的に「背中を見て学べ」と考える指導医も少なくないと聞く。プロフェッショナリズムについても「医師として当たりまえのこと」として、わざわざ「良い例」「悪い例」を具体的に示して教える指導医も主流とは言えないようだ。一方の研修医にも、当たり前のことすぎて今さら改めて学ぶのは時間の無駄ではないかと感じる者もいるらしい。

しかし指導医の「背中」は、本当にプロフェッショナリズムを見せていると言えるのだろうか。

本件のA医師は、医学部教授までのぼり詰めた“優秀な研究者”だ。だが彼は医師のプロフェッショナリズムを、教育者として後進に見せたと言えるだろうか。少なくとも今回の行為、その後の記者会見での「それほどショックを受けると思ってなかったけど」との言動からは、それを読みとることはできない。

大人にも同じことを言えるのだろうか、それとも子どもだから許されるとでも考えていたのだろうか。

小児内分泌学の権威として、どんなに知識や技術があっても、それらを子どもの利益を考えて使ったのだと主張したとしても、説明責任を果たさず、子どもたちの知る権利とプライバシーといった「人権」をないがしろにしたことに変わりはない。

では、A医師のプロフェッショナリズムが皆無かというとそれも違う。A医師が過去に発表した性分化疾患にかんする論説を読むとそれがわかる。