政治資金規正法改正案が衆議院を通過の見通し
6月6日、自由民主党の裏金事件を受けた政治資金規正法改正案が、衆議院を通過する見通しとなった。
岸田文雄首相が、政治資金パーティー券購入者名の公開基準額を「5万円超」に引き下げるなど、公明党と日本維新の会の主張に大幅に歩み寄った形だ。
これで政治不信に歯止めがかかるかといえば、そうではない。正確に言えば、マスコミによる「政治とカネ」問題の追及は続くに違いない。
その背景には、マスコミが抱く「幻想」があるのではないか。
これは、東京新聞のウェブサイトに掲載されているニュースの見出しである。毎日のように「政治とカネ」が報じられるたびに、政治の世界はカネに塗れている、とか、政治家はカネに汚い人たちだ、といった印象が強められていく。自民党の派閥の裏金事件は、「第二のリクルート事件」と日本共産党の小池晃書記局長が呼ぶなど、野党にとっては格好の追及ネタとして使われ続けている。
なぜ「政治とカネ」が盛り上がるのか
アゴラ研究所の池田信夫氏が指摘するように、「リクルート事件も刑事事件としては大したことがなかったが、(中略)まさに日本の政治を大きくゆるがした」のであり、今回の事件によって、「岸田首相と安倍派の不協和音が高まると、自民党が分裂するかもしれない。それは長い目で見ると、日本の議会政治にとって健全なことである」と言えよう。
ただし、私の関心は、「裏金事件」や「日本の議会政治」とは別のところにある。それは、「政治とカネ」をめぐって、なぜ、ここまでマスコミが盛り上がるのか、という点である。本来なら清廉潔白であるべき政治家が、カネに目が眩んで、私服を肥やしているのではないか。それを厳しく糾弾する役割こそ、マスコミの本領ではないか。そんな鼻息の荒さが伝わってくるからである。
「政治とカネ」とは、いったいどんな「問題」なのだろうか。