文化が違うことを念頭にルール作りを
日本では、法や制度によらずに、良識とモラル、思いやりによって秩序を形成する文化が存在するが、外国人観光客は必ずしも同じ文化を有しているわけではない。海外では、法に規定されていることすら守らない人が多い中で、法にも規定されていないことが守られる保証はない。これから日本の観光地は、多様な文化と価値観を持った外国人の利用者も念頭にルール作りを進める必要がある。
2013年に富士山が世界遺産に登録された際、ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)が、年間30万人にものぼる登山者の適正な管理を求めた。図1にあるように、富士山の登山者数自体は、長期的には減少傾向にある。
それでも、問題が顕在化する現状は、オーバーツーリズムが、数だけではなく、利用者の「質」やコントロールの方法にもあるということを示している。これは、2002年にユネスコ世界遺産センターから発刊された世界遺産管理マニュアル第1号「世界遺産の観光を管理する」にも書かれている重要なポイントである。
日本のシンボル、誇りをいかに守るか
特に、多様な文化や価値観を持つ国際観光客の増加を惹起する世界遺産登録では、いかにオーバーツーリズムを防ぐための効果的な仕組みを構築できるかが重要である。日本が観光立国を目指すということは、日本人とはマナーや文化、価値規範が異なる国の人々を迎えるということであり、現在のように、日本人の良識とモラル、同調圧力(世間の目)を期待した制度設計では、限界が存在することを富士山は示している。
また、富士山の登山シーズンは、7月の山開きから、わずか2カ月程度しかない。わずか2カ月で20~30万人もの人が登山するため、山頂付近は、都心のような混雑となる。アメリカで出版されたある本は、富士山を引き合いに出し、「日本の国立公園は世界でもっとも酷使されている」と指摘している(※3)。
※3 Everhart, W. C. (1983) The National Park Service, Westview Press
同書が40年前の本であることを思うと、日本の進歩のなさに愕然ともする。かつて大日本帝国時代の最高峰であり、「新高山」(ニイタカヤマ)と呼ばれた台湾の玉山は、富士山とほとんど標高が変わらないが、厳格な入山許可制、入山料の徴収、事前講習の実質義務化を行っている。同程度の標高であるマレーシアのキナバル山も同様である。
日本のシンボルであり、誇りでもある富士山が、現在のような利用の仕方をされていて良いはずがない。