殺人集団に変貌するきっかけになった事件

若者たちは、長い年月をかけてじっくりと修行に取り組むのではなく、即効性を求めた。オウム真理教の修行は、それに応じるように激しさを特徴としていた。セミナーでは、朝から深夜までそうした修行が続けられた。

禅の道場である永平寺などでも、そこで修行する雲水たちは早朝から深夜まで修行を続けるわけだが、オウム真理教の修行は、坐禅のような瞑想だけではなく、立位礼拝や呼吸法を含めた激しいものだった。しかも、これは永平寺とも共通するが、食事の量や睡眠時間もかなり制限されていた。

それが結果的に、一つの重大な事件を引き起こすことになる。

富士山総本部道場が開設されて1カ月半ほど経った1988年9月下旬のことだった。在家の信者として修行に参加していた男性が、突然、道場のなかを走り回り、大声を上げて叫び出すという出来事が起こる。

それに対して出家信者が水をかけたり、顔面を浴槽の水につけたりした。もちろんそれは、在家信者を正気に戻すための試みだったわけだが、結果的に信者は死亡してしまった。

秘密を隠すために新たな秘密を抱える

これは、信者が死亡しているわけだから、重大な事件である。ただ、意図的な殺人ではない。したがって、事件が起こった当初の段階で教団がこの事実を公にしていたとしたら、責任を問われたにしても、殺人罪が適用されることはなかったはずだ。

他の宗教団体でも修行中に亡くなる信者はいる。それによって教団は大きなダメージを被り、教団の発展にブレーキがかかっただろうが、最終的に無差別大量殺人に行き着くことはなかったのではないだろうか。

ところが、その時期は、宗教法人としての認証を受けるために東京都と事前準備の折衝を行っていた最中だった。事件が明るみに出ると、認証されなくなるのではないか。それを恐れた麻原は、亡くなった信者の遺体をドラム缶を使って焼却させ、遺骨は近くの精進湖に捨てさせた。

この死亡事故の隠蔽が、すべてのはじまりだった。

企業による組織犯罪の場合にも、やはり隠蔽からはじまる。秘密を抱えるようになった集団は、なんとかそれが外部に漏れないよう策を弄するようになり、さらに秘密を抱えることになっていくからだ。