嫌われる勇気を持つことが管理職の責務

人間は誰しも、誰かを評価などしたくないし、されたくもありません。しかし、企業というものは事業で得たお金を社員に報酬として配分せねばならず、そのための評価は誰かがしなくてはなりません。ある意味、それをするためにいるのが、管理職です。

別の言い方をすれば、評価をされるというイヤな気分から生じる反感を一身に受けること、ベストセラー書籍のタイトルを借りるのであれば、まさに「嫌われる勇気」を持つことが、管理職の責務なのです。部下たちより高い給料をもらうということは、そういうイヤな役目を担うことも含めてのものです。

それなのに嫌われる役目を放棄し、「俺はみんなの仲間だからな」と馴れ馴れしく振る舞うことは、言ってしまえば、「『人を評価する』という仕事の重さを軽く見ている」神をも恐れぬ行為であり、「フランクに振る舞ったからといって、その重荷から逃れられると思っている」という浅はかさでもあります。

初めて管理職になった当時の若い私は、その落とし穴に陥ってしまいました。本来は、「俺は上司になってしまったので、悲しいことではあるけれど、みんなとこれまでのようにはは付き合えない」と自覚し、他人にもそう示すべきだったのです。

手のひらをこちらに突き出し拒絶を示す男性
写真=iStock.com/Murat Deniz
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管理職がイヤでも管理職「然」とすべし

近年では、出世に興味がなく、みずからが管理職につくこと自体も良しとしない、そして「偉い」といわれる人には反感を持つ人も増えています(実は私もそうでした)。

そしてそういう人は、いざ自分が管理職になってしまうと、どうしても「いや、自分は管理職なんかになりたくてなったわけではないし」「むしろ、現場でプレイヤーとして活躍していたかったのに」と恨み節を言いたくもなるでしょう。

ただ、実際に昇進を固辞せず「管理職」という名刺を持つようになった以上、それは結局は自分で受け入れたことです。その恨み節は自分の中にしまっておくべきであり、他人に、ましてや部下にグチるものではありません。管理職になることを決めたならば、「まさしく私は管理職である」と、管理職「然」と振る舞うべきなのです。