この世界にかかった呪いを解きたい

繰り返すが、最初は全くの冗談のイベントだった。それがこうやって広がりを見せるうちに、もしかして社会的意義があるのでは……? と考えるようになった。

そして今、私はヘボコンを通して「この世界にかかった呪いを解きたい」と考えている。皆の行動力を失わせ、新たなことに挑戦する足かせとなっている呪いを。その呪いとは「すぐれたものほど良い」という考えだ。

完成度の高いロボットは確かに素晴らしいが、完成度の低いロボットにも同じくらい良さがある。うまく動かないかわいらしさはそれだけで魅力である。ピクリとも動かないとしても、「ロボットなのに動かない」なんて、その存在だけでおもしろいじゃないか。しかもそれを作るのに何十時間もかけたなんて!

作者がかけた時間や労力と同じだけ、作品には魅力が詰まっているはずなのだ。でもそういった魅力が、「すぐれたものほど良い」という価値観によって覆い隠されてしまっている。それは日本だけではない。どうも世界中がそうであるようなのだ。

そうやって取りこぼされた、拙い作品の魅力を一つ一つ拾って、ステージで紹介し、またインターネットを通して世界に発信していく。それがヘボコンと私の使命だと思っている。そうすることで、この世界にかかった呪いを、すこしずつ薄めていければいい。

米国で開催したミニ大会。工作好きの子供の参加者が多く集まった
筆者提供
米国で開催したミニ大会。工作好きの子供の参加者が多く集まった

「成功の母」でなくても失敗は魅力的

もうひとつ。「失敗は成功の母」という言葉がある。私はこの言葉もあまり好きではない。失敗を成功のための過程と捉えているからだ。

私の考えでは、失敗は単体で魅力的であり、豊かなものだ。成功に向かわない、単なる失敗もそれはそれで面白いのだ。

これはロボットに限らない。たとえば外国語だって、ペラペラ喋れたら強力なツールであることは確かだが、しかし学び始めの片言の段階で身振り手振りを交えてなんとか外国人とコミュニケーションをとるのも、それはそれで独特の楽しさがある。失敗や拙いものにも、完璧なものにはない独自の良さがあるのだ。その視点がヘボコンを生み出し、10年続ける原動力となった。

今年のヘボコンは6月29日に10周年大会を開催する。今年もたくさんのヘボいロボットが集まる予定だ。ヘボいと一口で言ってもいろんなパターンがある。配線が間違っているとか部品が外れるとかいった機体の問題をはじめ、電池を逆にいれたり操作を誤ったりという出場者の問題、そしてロボットを電車に置き忘れたり、飛行機の荷物検査で没収されてしまうといったハプニングもあった。

そろそろ全部のパターンが出尽くしたかな……と思うが、開催してみると毎年新しいものが出てくる。ヘボの可能性は無限大なのだ。

今年はどんな新しいヘボが出てくるか、本当に楽しみだ。

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